2018年4月29日、明石市大蔵谷を散策しました。このシリーズの第9回(最終回)
として散策場所ではありませんが大蔵中町遺跡(2014年発掘調査実施)
をテーマに書いていきます。
大蔵谷散策シリーズのこれまでの目次とリンク
第1回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その1 大蔵院
第2回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その2 法華塔
第3回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その3 宿場町 大蔵谷
第4回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その4 稲爪神社
第5回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その5 穂蓼(ほたて)八幡神社
第6回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その6 休天(やすみてん)神社
第7回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その7 西林寺
第8回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その8 湯処 東湯
大蔵中町遺跡は明石市の大蔵地区住宅市街地総合整備事業による道路建設工事に伴って
2014年3月から実施されました。(担当は明石市教育委員会)
上の写真は調査地点(赤枠部)
上の写真は発掘調査地の全景
大蔵中町遺跡からは、ほぼ大半が奈良時代の瓦で積まれた井戸が5つ見つかりました。
西側より井戸01~井戸05と名付ける。
上の写真は井戸02で直径80cm 瓦積みの高さは約70cm
文様を持つ軒丸・軒平瓦から播磨国府系瓦のうち本町式と古大内式の瓦が含まれている
ことが判りました。播磨国府系瓦は播磨地域の郡衙、寺院、駅家など官衙に関連する
遺跡に多く出土しているもので、調査地周辺に瓦葺き建物をもつ官衙施設が存在していた
可能性が極めて高いと言えます。
井戸が作られた時期は平安時代から鎌倉時代にかけてと推定されています。
上の写真は井戸03で北側は削られていたが直径80cm 瓦積みの高さは約70cm
井戸枠には太寺廃寺出土の瓦と同文の瓦
本町式の瓦、鎌倉時代に入り東寺復興に際して作られた「左字」の刻印のある瓦、
さらに干支(二年丙子)から建治2年(1276)と推定されるヘラ描きの文字瓦
が見つかっています。
上の写真は「左字」の刻印のある瓦
上の写真は建治2年(1276)と推定されるヘラ描きの文字瓦
建治2年(1276)にどこかの寺院で堂宇の新造または修理の予定があり
それにあわせてたくさん焼いた瓦のうちの1枚だと思われます。
瓦には下記の様な文字が刻まれています。
□(治)
二 僧
年 等
子丙 己 房
□(閏)
として散策場所ではありませんが大蔵中町遺跡(2014年発掘調査実施)
をテーマに書いていきます。
大蔵谷散策シリーズのこれまでの目次とリンク
第1回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その1 大蔵院
第2回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その2 法華塔
第3回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その3 宿場町 大蔵谷
第4回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その4 稲爪神社
第5回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その5 穂蓼(ほたて)八幡神社
第6回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その6 休天(やすみてん)神社
第7回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その7 西林寺
第8回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その8 湯処 東湯
大蔵中町遺跡は明石市の大蔵地区住宅市街地総合整備事業による道路建設工事に伴って
2014年3月から実施されました。(担当は明石市教育委員会)
上の写真は調査地点(赤枠部)
上の写真は発掘調査地の全景
大蔵中町遺跡からは、ほぼ大半が奈良時代の瓦で積まれた井戸が5つ見つかりました。
西側より井戸01~井戸05と名付ける。
上の写真は井戸02で直径80cm 瓦積みの高さは約70cm
文様を持つ軒丸・軒平瓦から播磨国府系瓦のうち本町式と古大内式の瓦が含まれている
ことが判りました。播磨国府系瓦は播磨地域の郡衙、寺院、駅家など官衙に関連する
遺跡に多く出土しているもので、調査地周辺に瓦葺き建物をもつ官衙施設が存在していた
可能性が極めて高いと言えます。
井戸が作られた時期は平安時代から鎌倉時代にかけてと推定されています。
上の写真は井戸03で北側は削られていたが直径80cm 瓦積みの高さは約70cm
井戸枠には太寺廃寺出土の瓦と同文の瓦
本町式の瓦、鎌倉時代に入り東寺復興に際して作られた「左字」の刻印のある瓦、
さらに干支(二年丙子)から建治2年(1276)と推定されるヘラ描きの文字瓦
が見つかっています。
上の写真は「左字」の刻印のある瓦
上の写真は建治2年(1276)と推定されるヘラ描きの文字瓦
建治2年(1276)にどこかの寺院で堂宇の新造または修理の予定があり
それにあわせてたくさん焼いた瓦のうちの1枚だと思われます。
瓦には下記の様な文字が刻まれています。
□(治)
二 僧
年 等
子丙 己 房
□(閏)