神戸電鉄は、湊川公園下-有馬温泉駅間を営業運転開始した昭和3年(1928)11月28日から
今年(2018年)で90周年を迎えます。
また、北神急行電鉄が昭和63年(1988)4月2日に開通し30周年を迎えました。
上の写真は神戸電鉄沿線情報誌 SUZURAN 2018初夏号 表紙
上の写真は神戸電鉄開業90周年のイベント情報などを掲載したリーフレット表紙
上の写真は鈴蘭台駅付近を走行する神戸電鉄1151系車両 撮影:2018-7-1
戦後復興期(昭和30-40年)に運行していた車両(クハ131形、クハ151形、デ201形)に
使用されていた塗装デザインを復刻させたもので「スプリンググリーンとシルバーグレー」で
今年の5月20日から運転されています。
上の写真も鈴蘭台駅付近を走行する神戸電鉄1373系車両で、通常デザインです。
撮影:2018-7-1
神戸電鉄開業90周年記念サイト
Web版:http://www.shintetsu.co.jp/90th/
FB(毎月28日に投稿):https://ja-jp.facebook.com/kobe.dentetsu/
次に、神戸電鉄の開設に功労のあった山脇延吉翁の紹介を中心に話を進めていきます。
上の写真は山脇延吉(1875-1941)の写真です。
出典:三田ゆかりの50人 NPO法人 歴史文化財ネットワークさんだ Page39
神戸市北区道場町塩田に生まれ、鹿児島造士館を経て東大工科を二年で中退、一年志願兵で
日露戦争に従軍、有馬郡に帰郷してからは明治37年(1904)道場銀行頭取、有馬郡会議員
道場村長、県会議員に加えて有馬郡郷軍会長、有馬郡農会長、県畜連会長、県山林会長、
関西二府十七県農連会長、県販購連会長、帝農評議員、帝農農政委員、重要肥料委員、農林計画委員、
など主に農政関係の重要ポストをつとめ、当時、大正12年(1923)の関東大震災や昭和初期の恐慌で
疲弊していた農村の復興で自力更生を唱え農村の意識改革を図った。
自力更生は昭和7年(1932)7月20日、白根知事によって国に報告、国の農村振興の根本策となった。
県会議員としては明治40年(1907)初めて当選、大正8年(1919)に再選して7回当選しています。
道路の整備、河川の改善、天災復旧、農業・教育・医療の振興で業績が評価されています。
さらに、神戸電鉄開業関連の事蹟を中心に記載していきます。
[神戸電鉄開業前史]
明治39年(1906) 阪鶴鉄道(現在のJR福知山線)の国有化決定
当時、既に神崎駅(現在の尼崎駅)~新舞鶴駅(現在の東舞鶴)が開通していました。
福知山線を敷設した阪鶴鉄道の重役が箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)を計画
明治40年(1907) 日露戦争後の不況で株式暴落
小林一三が阪鶴鉄道の監査役となり阪鶴鉄道を清算後、
箕面有馬電気軌道の追加発起人となる。
箕面有馬電気軌道の創立総会
取締役/井上保次郎、松方幸次郎、志方勢七、藤本清兵衛 小林一三が専務代表取締役
明治43年(1910)箕面有馬電気軌道が開業 梅田-宝塚、石橋-箕面
大正3年(1914) 有馬鉄道株式会社を設立 山脇延吉が社長
大正4年(1915)4月16日 有馬鉄道が三田-有馬の約12kmが開業 同時に鉄道院が借り上げ
昭和18年(1943)7月1日の廃止まで国鉄有馬線として存続
[神戸電鉄の設立から開業まで]
大正11年(1922)11月 山脇延吉他7名で有馬電鉄株式会社の名称で
上三条町-有馬温泉の鉄道敷設免許を申請
大正13年(1924)6月 社名を神戸有馬電気鉄道株式会社と改称し
起点駅を上三条町から湊川公園下に変更して鉄道敷設免許を申請受諾
大正15年(1926)3月 神戸有馬電気鉄道株式会社の正式設立
昭和3年(1928)11月 神戸-有馬口に神有電車が開業
12月 有馬口-三田までの鉄道も開通
[参照資料]
三田ゆかりの50人 NPO法人 歴史文化財ネットワークさんだ Page39
農政の先覚者帝農副会長山脇延吉氏 - 神戸大学 電子図書館システム
(神戸新聞 1939.11.8 (昭和14))
山脇延吉翁からの贈りもの 「神戸電鉄」誕生の物語 藤田裕彦著
https://concours.toshokan.or.jp/wp-content/uploads/contest-data/210006/
今年(2018年)で90周年を迎えます。
また、北神急行電鉄が昭和63年(1988)4月2日に開通し30周年を迎えました。
上の写真は神戸電鉄沿線情報誌 SUZURAN 2018初夏号 表紙
上の写真は神戸電鉄開業90周年のイベント情報などを掲載したリーフレット表紙
上の写真は鈴蘭台駅付近を走行する神戸電鉄1151系車両 撮影:2018-7-1
戦後復興期(昭和30-40年)に運行していた車両(クハ131形、クハ151形、デ201形)に
使用されていた塗装デザインを復刻させたもので「スプリンググリーンとシルバーグレー」で
今年の5月20日から運転されています。
上の写真も鈴蘭台駅付近を走行する神戸電鉄1373系車両で、通常デザインです。
撮影:2018-7-1
神戸電鉄開業90周年記念サイト
Web版:http://www.shintetsu.co.jp/90th/
FB(毎月28日に投稿):https://ja-jp.facebook.com/kobe.dentetsu/
次に、神戸電鉄の開設に功労のあった山脇延吉翁の紹介を中心に話を進めていきます。
上の写真は山脇延吉(1875-1941)の写真です。
出典:三田ゆかりの50人 NPO法人 歴史文化財ネットワークさんだ Page39
神戸市北区道場町塩田に生まれ、鹿児島造士館を経て東大工科を二年で中退、一年志願兵で
日露戦争に従軍、有馬郡に帰郷してからは明治37年(1904)道場銀行頭取、有馬郡会議員
道場村長、県会議員に加えて有馬郡郷軍会長、有馬郡農会長、県畜連会長、県山林会長、
関西二府十七県農連会長、県販購連会長、帝農評議員、帝農農政委員、重要肥料委員、農林計画委員、
など主に農政関係の重要ポストをつとめ、当時、大正12年(1923)の関東大震災や昭和初期の恐慌で
疲弊していた農村の復興で自力更生を唱え農村の意識改革を図った。
自力更生は昭和7年(1932)7月20日、白根知事によって国に報告、国の農村振興の根本策となった。
県会議員としては明治40年(1907)初めて当選、大正8年(1919)に再選して7回当選しています。
道路の整備、河川の改善、天災復旧、農業・教育・医療の振興で業績が評価されています。
さらに、神戸電鉄開業関連の事蹟を中心に記載していきます。
[神戸電鉄開業前史]
明治39年(1906) 阪鶴鉄道(現在のJR福知山線)の国有化決定
当時、既に神崎駅(現在の尼崎駅)~新舞鶴駅(現在の東舞鶴)が開通していました。
福知山線を敷設した阪鶴鉄道の重役が箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)を計画
明治40年(1907) 日露戦争後の不況で株式暴落
小林一三が阪鶴鉄道の監査役となり阪鶴鉄道を清算後、
箕面有馬電気軌道の追加発起人となる。
箕面有馬電気軌道の創立総会
取締役/井上保次郎、松方幸次郎、志方勢七、藤本清兵衛 小林一三が専務代表取締役
明治43年(1910)箕面有馬電気軌道が開業 梅田-宝塚、石橋-箕面
大正3年(1914) 有馬鉄道株式会社を設立 山脇延吉が社長
大正4年(1915)4月16日 有馬鉄道が三田-有馬の約12kmが開業 同時に鉄道院が借り上げ
昭和18年(1943)7月1日の廃止まで国鉄有馬線として存続
[神戸電鉄の設立から開業まで]
大正11年(1922)11月 山脇延吉他7名で有馬電鉄株式会社の名称で
上三条町-有馬温泉の鉄道敷設免許を申請
大正13年(1924)6月 社名を神戸有馬電気鉄道株式会社と改称し
起点駅を上三条町から湊川公園下に変更して鉄道敷設免許を申請受諾
大正15年(1926)3月 神戸有馬電気鉄道株式会社の正式設立
昭和3年(1928)11月 神戸-有馬口に神有電車が開業
12月 有馬口-三田までの鉄道も開通
[参照資料]
三田ゆかりの50人 NPO法人 歴史文化財ネットワークさんだ Page39
農政の先覚者帝農副会長山脇延吉氏 - 神戸大学 電子図書館システム
(神戸新聞 1939.11.8 (昭和14))
山脇延吉翁からの贈りもの 「神戸電鉄」誕生の物語 藤田裕彦著
https://concours.toshokan.or.jp/wp-content/uploads/contest-data/210006/