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Channel: CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)
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北前船の寄港地 赤穂市坂越の塩廻船

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2018年10月14日、赤穂市坂越で国の重要無形民俗文化財に指定されている「坂越の船祭」を
見学する目的で坂越(さこし)港付近に来ていました。

坂越浦は正面に生島(いきしま)があり天然の防波堤になっており古くから良港として
漁港として発展、さらに織豊時代から廻船業が勃興し寛文年間(1661~72)に開設された
西廻り航路の発展とともに、坂越浦も賑わいをみせ瀬戸内海有数の廻船業地となっています。
廻船業社としては古参の大西家、慶長6年(1601)に酒造業を始め、その後金融業、廻船業へと
事業を拡大していった大庄屋、船手庄屋も務める奥藤(おくとう)家、さらに渋谷家、江崎家
など33名(元禄4年(1691)時点)船は118艘あったそうである。
木綿、紙などを仕入れて、西国(肥前など)や北国(出羽など)へ下って売却した後、現地で
北国米や肥前米を購入して、大坂、堺へ輸送していた。
正徳六年(1716)より肥前田代米の輸送仲間に加入しています。
すなわち、この頃の坂越の廻船業は運賃積み廻船ではなく問屋も兼ねた買積廻船で北前船の
要件である「帆船」、「松前」、「買積船」、「瀬戸内」を満たしています。

18世紀末ごろから日本海海運を担った北陸を中心とする北前船が台頭し、坂越浦の廻船業者は
北国産物輸送の主導権を奪われ、坂越廻船業者の中には経営不振に陥る者もいた。
そして19世紀以降は、赤穂の塩問屋などから塩を購入して江戸へ廻送する塩廻船として
生き残っていきました。


毎年10月の第2日曜日に行われる坂越の船渡御祭(坂越の船祭り)は坂越の廻船業が繁栄
していた頃に始められ300年以上歴史がある伝統行事です。
航行安全を祈願して、御輿を乗せた色鮮やかな船行列が大避(おおさけ)神社から生島まで
巡航するこの船祭は、宮島の管弦祭、大阪の天神祭と並ぶ瀬戸内三大船祭りの一つです。


前置きが長くなりましたが本題の塩廻船の話に戻ります。
大避神社の拝殿両翼に多数の奉納絵馬が掲げられています。その中に坂越の廻船業が
繁栄していた頃に奉納された絵馬が目をひきます。


大避神社の絵馬

上の写真は拝殿に向かって左側の絵馬殿の遠景


上の写真は拝殿に向かって右側の絵馬殿の遠景



上の写真は 安永元年(1772)に奉納された船絵馬










上の6枚の写真も奉納絵馬

塩廻船構造図


上の写真は塩廻船構造図
出典:赤穂市立歴史博物館 常設展示案内 Page34

塩廻船模型

上の写真は塩廻船模型 縮尺3分の1
出典:赤穂市立歴史博物館 常設展示案内 Page34

北前船の展示

上の写真は旧坂越浦会所の前、とうろん台の横に置かれている北前船の模型
この模型は坂越のまち並みを創る会が2015年から北前船の日本遺産登録を目指し
地元に残っていた5分の1の模型を復元したものです。

ここでとうろん台の説明書きに使用されていた昔の坂越港の絵を添付しておきます。


奥藤酒造郷土館
奥藤酒造郷土館の展示より塩廻船に関する写真をピックアップしました。






























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