Quantcast
Channel: CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3915

法隆寺 on 2015-12-20 その4 中宮寺

$
0
0
法隆寺訪問記シリーズの第4回です。今回は中宮寺を写真紹介します。

過去の訪問記
 第1回 法隆寺 on 2015-12-20 その1 西院伽藍

 第2回 法隆寺 on 2015-12-20 その2 西円堂

 第3回 法隆寺 on 2015-12-20 その3 東院伽藍
  

中宮寺の基本情報を添付します。

中宮寺の基本情報
住所:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2 TEL:0745-75-2106
宗派:聖徳宗 昭和25年(1950)までは法相宗と真言宗泉涌寺派
御本尊:菩薩半跏像(寺伝如意輪観音) 山号:法興山
創建:創建年代不詳(7世紀前半と推定)であるが尼寺として
   聖徳太子(574-622)の御母穴穂部間人皇后の御願により建立
 開基:聖徳太子または間人皇后
中宮寺の公式HP:http://www.chuguji.jp/

法隆寺境内地図を再掲します。

上の写真は法隆寺の伽藍配置図です。(現地の説明版より)
拡大版はこちら

中宮寺の歴史概要 By Wikipedia&拝観リーフレット 加筆及び修正あり

中宮寺は、現在は法隆寺東院に隣接しているが創建当初は500mほど東にあった。
(大字法隆寺字旧殿の地に土壇として残存している)
現在地に移転したのは中宮寺が門跡寺院となった16世紀末頃のことと推定される。
旧寺地の発掘調査の結果から、法隆寺と同じ頃、7世紀前半の創建と推定されるが、
創建の詳しい事情は不明である。天平19年(747年)の『法隆寺縁起』[1]や
『上宮聖徳法王帝説』には、「聖徳太子建立七寺」の一とされるが、確証はない。
中宮寺独自の創立縁起は伝わらず、『日本書紀』にも中宮寺創建に関する記載はない。


上の写真は拝観の入り口付近の掲示板で菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)の写真が
添付されていますので掲載しました。

菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)及び光背については下記3枚の写真を添付しました。
出典:法隆寺図説 朝日新聞社 (1942)著作権失効
エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで
菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)は「世界の三つの微笑像」とも呼ばれています











入り口では藤棚ともちの木(くろがねもち)が迎えてくれます(上の写真)


天皇家の菊の御紋の入った丸軒瓦。





旧鵤御所の建物群(上の2枚の写真)


上の写真は皇后宮御歌
 「中宮寺の 都い地のうち迩 しつも利天 ささん久王の花 清ら可耳 佐久」
   女管長 北白川祥子 謹書


上の写真は本殿。
高松宮妃殿下の発願で吉田五十八先生が設計され昭和43年(1968)に落慶
本堂の中に菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)の他に日本最古の刺繍遺品として
知られる「天寿国曼荼羅繍帳」も収容され展示されています。


上の写真は中宮寺本殿の由緒が書かれた石碑




上の写真は会津八一先生が読まれた歌碑と説明書き







Viewing all articles
Browse latest Browse all 3915

Trending Articles