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JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その7 安土城跡

2019年3月20日、安土城をメイン訪問先ととしてJR安土駅周辺を散策してきました。

本日はその第7回として安土城跡を写真紹介します。



過去の散策記:

第1回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その1 一須賀古墳群と渡来人の展示 in 安土城考古博物館

第2回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その2 相撲取りの石像

第3回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その3 佛立山 東南寺

第4回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その4 セミナリヨ跡

第5回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その5 新宮大社

第6回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その6 法性山 平等寺

安土城の歴史概要
Wikipediaをベースとして一部加筆して纏めてみました。

安土城は、織田信長によって、現在の安土山に天正4年(1576)から始まり約3年後の
天正7年(1579)には天守が完成し信長が移り住みました。大型の天守(現地では
「天主」と表記)を初めて持つなど威容を誇った。
建造当時は郭が琵琶湖に接していた(大中湖)。
地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メートル。それまでの城にはない独創的な
意匠で絢爛豪華な城であったと推測されている。
建設に当たっての総奉行は丹羽長秀、普請奉行に木村高重、大工棟梁には岡部又右衛門、
縄張奉行には羽柴秀吉、石奉行には西尾吉次、小沢六郎三郎、吉田平内、大西某、
瓦奉行には小川祐忠、堀部佐内、青山助一があたった。
この城を築城した目的は、岐阜城よりも当時の日本の中央拠点であった京に近く、
琵琶湖の水運も利用できるため利便性があり、加えて北陸街道から京への要衝に
位置していたことから、「越前・加賀の一向一揆に備えるため」あるいは
「上杉謙信への警戒のため」などと推察されている。
城郭の規模、容姿は、太田牛一や宣教師の記述にあるように天下布武(信長の天下統一事業)
を象徴し、一目にして人々に知らしめるものであり、山頂の天主に信長が起居、
その家族も本丸付近で生活し、家臣は山腹あるいは城下の屋敷に居住していたとされる。
1582年(天正10年)、家臣明智光秀による信長への謀反(本能寺の変)の後まもなく
して何らかの原因(後述)によって焼失し、その後廃城となり、現在は石垣などの一部の
遺構を残すのみだが、当時実際に城を観覧した宣教師ルイス・フロイスなどが残した
記録によって、焼失前の様子をうかがい知ることができる。

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上の写真はJR安土駅前の観光案内所に展示の襖絵で
安土城の威容が想像できます。

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上の写真は安土城の築城に関連する年表です。(入口事務所付近に掲示の現地説明板)

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上の写真は安土城考古博物館の展示で安土城の歴史と年表が記載されています。

安土城跡平面図&航空写真
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上の写真は安土城跡平面図で調査成果に基づく復元も含まれています。
出典:滋賀県教育委員会作成の資料

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上の写真は安土城跡の航空写真
出典:滋賀県教育委員会作成の資料(表紙)

以下上記の平面図に図示の22箇所について番号順に写真紹介していきます。
(当日写真が撮れなかった場所は説明文のみ)


1:天守跡
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上の2枚の写真は天守跡 礎石が残されています。
Wikipediaによれば
高層の木造建築を建てる場合、中央に心柱を立てるのが多くの日本建築の特徴だが、
安土城天主の礎石は中央部の1つだけが欠けている(他の礎石は全て現存している)。
発掘調査では、中央に礎石が抜けた跡はないことが確認され、またそこに空いていた
穴からは、焼け落ちた天主の一部と思われる炭とともに、壺のかけらのような破片が
いくつも出土した。発掘時の推測では、この穴の上にはかつて仏教の宝塔があり
(天守指図からの推測)、穴には舎利容器である壺が入っていたものと推測されている。

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上の写真は天守跡からの眺望(琵琶湖方面)

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上の写真は天守跡より織田信長廟を見下ろしたもの。

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上の写真は天守跡の石垣
信長廟より撮ったものです。

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上の写真は安土城考古博物館の展示で「天守跡などの石垣」を拡大写真で説明
石垣は比叡山山麓坂本の穴太衆が担当して建造されたと伝わっています。

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上の写真は天守跡を中心とした主郭部平面図
黒鉄門跡付近の現地説明書よりの抜粋です。

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上の写真は安土城天守の復元
出典:詳説 日本史図録 山川出版社(2008)Page137

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上の写真は安土城の天守閣の復元(信長の舘にて絵葉書購入)
雛型西東面断面(安土城郭資料館展示) 復元設計:内藤昌

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上の2枚の写真は安土城天守の5・6階部の7分の1の復元模型(安土城跡ガイダンスの展示)
部屋の中の豪華さは目を見張ります。

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上の写真は150分の1の天守閣模型 安土城考古博物館の展示

2:伝本丸取付台
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上の写真は本丸取付台から天守跡の登る階段です。
(本丸取付台の写真が無いので上の写真で代用)

3:伝本丸跡
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上の3枚の写真は本丸跡

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上の2枚の写真は本丸跡の現地説明板
本丸御殿が内裏清涼殿と類似した建物になっています。
ここで天皇に宿泊して頂くことを意図して建造されたが行幸は実現しなかった。


4:伝三ノ丸跡
本丸跡の御殿と東側の三の丸は渡り廊下でつながっていたことが明らかになっています

5:伝二ノ丸跡
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上の写真は二の丸址と書かれた石碑

6:織田信長廟
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上の3枚の写真は二の丸の敷地内の織田信長廟

天正11年(1583)2月に羽柴秀吉によって建立され、信長の太刀や烏帽子、直垂(ひたたれ)
などの遺品を埋葬して本廟としました。
同年の6月2日の1周忌には織田一族や家臣を集め盛大に法要を行った。

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上の写真は織田信長の絵馬

7:伝長谷川邸跡
伝長谷川竹(秀一)邸跡には織田信雄とその子孫の供養塔があります。
織田信長の次男の織田信雄(大和宇陀松山藩藩主)から4代の供養塔の写真を添付。
長谷川秀一についてWikipediaより引用紹介します。
長谷川秀一(?~文禄3年(1594))は尾張国出身で、織田氏家臣・長谷川与次の子。
織田信長に小姓として仕え、矢部家定と共に若年より諸事に用いられた。
信長の男色相手として深く寵愛され[文献資料がない]織田家臣時代は「長谷川竹」
という呼び名で呼ばれていた。文章における初見は天正3年(1575年)1月30日付けの
信長書状で、この時秀一は伊勢で長島城復旧工事に従事する石運びの宿の手配を
行っている。
天正6年(1578年)6月、播磨神吉城攻めの際には検使の大津長昌と共に派遣され、
菅屋長頼・矢部家定・万見重元・祝重正と番替で検分を行った。同年12月の有岡城の
戦いで万見重元が戦死すると、翌天正7年(1579年)1月に安土(現・近江八幡市安土町)
で邸宅の入れ替えがあって、旧万見邸が秀一の邸宅となり、旧長谷川邸には高橋虎松が
入った。長谷川より上席であった万見の死亡により、席次の繰り上がりがあったと
思われ、以後秀一は奉行衆としてより重要な役目を与えられていく。

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説明書きの内容
織田信雄公四代供養塔
初代信雄公徳源院殿實巌眞公大居士
  寛永七年四月三十日 七十三才
四代信武公圓明院殿定岩宗恵大居士
  元禄七年十月三日 四十才
三代長頼公徳雲院殿回岩宗頂大居士
  元禄二年四月三日 七十才
二代高長公瑞泉院殿一岩宗徹大居士
  延宝二年八月十八日 八十五才

8:伝黒金門跡
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上の2枚の写真は黒鉄門付近の石垣と現地説明板

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上の写真は黒金門のあった位置を示した石碑

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上の写真は黒金門に向かう途中の石垣

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黒鉄門に向かう途中に森蘭丸邸跡と書かれた石碑を見つけました

近くに仏足石がありましたので写真を添付しておきます。
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9:伝織田信忠邸跡
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織田信忠は、織田信長の長男で、織田信長から生前に家督を譲られ織田家当主
となった信長の後継者。


10:伝武井夕庵邸跡
大手道をまっすぐ登りきったあたりに武井夕庵(たけいゆうあん、たけいせきあん)
の屋敷跡と伝わる場所があります。
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武井夕庵は織田信長の秘書役を務めた武士です。
敷地内で井戸跡も確認されています。

11:伝徳川家康邸跡上段
徳川家康の邸は上段の地の他に摠見寺仮本堂の地にもあったと伝えられています。

12:摠見寺仮本堂
この地は伝徳川家康邸跡です。

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上の写真は摠見寺仮本堂の遠景

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上の写真は摠見寺仮本堂の鐘楼

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上の写真は摠見寺仮本堂付近より大手道方面を臨む景色

13:伝羽柴秀吉邸跡
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上の6枚の写真は伝羽柴秀吉邸跡の現況と現地説明板

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上の写真は伝羽柴秀吉邸跡の復元模型(安土城考古博物館の展示)

14:伝前田利家邸跡
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上の6枚の写真は伝前田利家邸跡の現況と現地説明板

15:大手石塁跡
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上の4枚の写真は大手石塁跡と現地説明板

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上の3枚の写真は大手門西側上段郭と現地説明板

16:摠見寺跡
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上の4枚の写真は摠見寺跡の現地説明板

安土城跡のリーフレットより説明文を引用紹介します。
摠見寺は臨済宗妙心寺派の寺で山号は遠景山。天正4年(1576)安土城築城の際、
信長公が他所より移築し菩提寺としたものです。
天正10年(1582)本能寺の変後、天主とその周辺建物(主に本丸)は焼失したが、
総見寺は残ったが安政元年(1854)11月16日、火災で本堂などほとんどが焼失した。
昭和7年(1932)仮本堂が大手道沿いの伝徳川家康邸跡に建てられ現在に至っている。

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上の2枚の写真は現地の現況

17:摠見寺三重塔
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上の3枚の写真は摠見寺三重塔

安土城跡のリーフレットより説明文を引用紹介します。
「三重塔は三間三重の塔で屋根は本瓦葺き。室町時代の建物で棟柱に享徳3年(1454)
建立、天文24年(1555)修理の墨書きがある。天正3~4年に信長公が甲賀の長寿寺
(甲賀市石部町)から移築したものとされている。
慶長9年(1604)豊臣秀吉の次男、秀頼が一部修理している。大正3年(1914)9月、
突然三層目の屋根と一・二層の軒が崩落したがすぐに修復された。」

18:摠見寺仁王門
二王門とか楼門という別名で呼ばれる場合もあるようです。
入母屋造本瓦葺き。元亀2年(1571)建立。
摠見寺創建時(天正4年(1576))に近江国甲賀郡柏木神社より移築。

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上の5枚の写真は二王門と仁王像及び現地説明板
金剛力士像(仁王像)は頭部の内側に応仁元年(1467)因幡院朝作の造像銘
二王門及び金剛力士像は国の重要文化財に指定されています。


19:百々橋口
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上の写真は百々橋口の濠と百々橋

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上の写真は百々橋口の西側すぐの所にある天台宗 豊徳山 會勝寺
天正10年(1582) 安土城が焼失した後に観音堂が建立され千手観音が安置。
明治時代になって会勝寺が観音堂の隣に移転し本堂、庫裡などが建立された。

20:安土山南面西側郭群
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上の7枚の写真は安土山南面西側郭群と現地説明板

21:蓮池地区郭群
写真を撮れませんでした。



22:伝江藤加賀右衛門邸跡
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上の写真は江藤加賀右衛門邸跡の石碑

安土城の全体復元
2019-2-27放送NHK 歴史秘話ヒストリア「新発見!歴史NEWS 2018」で
織田信長が30歳の時に建立した小牧山城の天守閣の近くに信長が住居としていたであろう
舘跡の発掘状況と小牧山城及び安土城の全体を復元した映像があったので
添付しておきます。
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上の写真は小牧山城の全体復元

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上の2枚の写真は安土城の全体復元 (監修は三浦正幸氏)

信長は天守近くに住居があり上下関係を明確に信長に近い位置に
身分が上位の家臣や側近の武将を配置した。

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上の写真は現地説明板で安土山全体の配置図です。

安土城と城下町
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上の写真は安土城跡ガイダンスの展示パネルです。

現在、安土城考古博物館で平成31年度春季特別展「安土 信長の城と城下町」が
開催されています。
そのリーフレットを添付しておきます。
5月26日(日)13:30より「ここまでわかった!安土城城下町」と題して
近江八幡市文化観光課の坂田孝彦さんが講演をされるようです。
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織田信長の姿
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上の2枚の写真は安土城考古博物館に展示の信長像です。

最後に
不十分な部分もありますがやっと書き終えることができました。
JR安土駅の地下連絡通路に安土中学校美術部の方が安土城の絵を描いて
おられますので作品を添付して筆を置きます。
ネギも特産品で有名なのですネ。
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