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NHKドラマ「永遠のニシパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~」を視聴して

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NHK総合テレビで2019年7月15日の19時30分から放送の「永遠のニシパ~北海道と名付けた男

松浦武四郎~」を視聴しました。今後、記憶に残す為にドラマの出演者と役者を記しておきます。

出典はWikipediaです。

主人公 松浦武四郎演 - 松本潤探検家。幕末の志士。 アイヌの人々 リセ演 - 深田恭子アイヌの女性。エカシ演 - 宇梶剛士アイヌの長老。リセの義父。ウテルク演 - 木村彰吾リセの兄。案内人。イチニカ → 市助演 - ヴァサイェガ渉(ジャニーズJr.)(子ども時代:正垣湊都)リセの息子。フチ演 - 曽川留三子リセの義母。イワンハルカ演 - 納谷真大案内人。 江戸の人々 大久保利通演 - 江口洋介新政府参与鍋島直正演 - 小日向文世初代開拓使長官。東久世通禧演 - 山田良明第2代開拓使長官。堀井出雲守演 - 石井正則幕府外国奉行阿部伊勢守正弘演 - 筧利夫旧幕府老中。 松前の人々 佐島勘解由演 - 西村まさ彦松前藩家老。湊屋彦兵衛演 - 斎藤歩商人。新堂佐七郎演 - 石倉三郎商人。六之助演 - 有薗芳記新堂屋手代。また、松浦武四郎(1818-1888)の経歴を簡単に記載しておきます。
松浦武四郎は6回の蝦夷地調査を実施。蝦夷地詳細な地図を作成さらに北海道の
名付け親としても知られる。

文化15年(1818) 2月6日 伊勢国志部須川村(現在の松阪市小野江町)に生まれる
          松浦時春(桂助)の四男
文政7年(1824)  近くの寺で読み書きを習い、「名所図会」を愛読
天保元年(1830)  津藩平松楽斎の私塾に学ぶ(13歳~16歳)
天保4年(1833)  2月手紙を残して突然家出→江戸で見つかり連れ戻される

天保5年(1834)  全国を巡る旅に出る。(17歳~20歳)
           松浦武四郎の旅の資金は篆刻で稼いでいたと言われています
           篆刻の技は16歳の時江戸での居候先、漢学者の山口遇所より習得
天保9年(1838)  長崎で大病、「禅林寺」で出家し僧侶「文桂」となる
天保10年(1839) 平戸の「千光寺」で住職を務める(22歳~24歳)

天保14年(1843) 長崎でロシア南下の危機を知り、蝦夷地を目指す。
           郷里へ戻り参宮と父母の墓に参る、「西海雑誌」を著す

弘化2年(1845)  第1回蝦夷地探査。商人和賀屋孫兵衛の手代に身を変え、
           函館→森→有珠→室蘭→襟裳→釧路→厚岸→知床→根室→函館を巡る
弘化3年(1846)  第2回蝦夷地探査。松前藩医西川春庵の下僕「雲平」として調査
           江差→宗谷→樺太→宗谷→紋別→知床→宗谷→石狩→千歳→江差嘉永2年(1849)  第3回 蝦夷地探査。函館から船で国後島、択捉島へ渡る
           ここまでは松浦武四郎の私的な探査

嘉永3年(1850)  これまでの3回の調査を「初航蝦夷日誌」全12冊、「再航蝦夷日誌」
          全14冊、「三航蝦夷日誌」全8冊という題でまとめる。
            以降は幕府の公認、援助のもとに探査が進められています。

安政3年(1856)  第4回蝦夷地探査。函館→宗谷→樺太→宗谷→函館
安政4年(1857)  第5回蝦夷地探査。函館→石狩→上川→天塩→函館
安政5年(1858)  第6回蝦夷地探査。北海道全ての海岸→十勝→阿寒→日高

安政6年(1859)  6回の探査結果を東西蝦夷山川地理取調図として纏める
           26冊の折り畳み式縦が2m40cm、横が3m60cm

明治2年(1869)  開拓判官に任命される。道名・国名・郡名撰定に尽力、叙従五位
     蝦夷地にかわる名称として、「日高見道」、「北加伊道」、「海北道」、
     「海東道」、「東北道」、「千島道」の6つの案を上申

     この中から 「北加伊道」が採用された。加伊はアイヌ民族を指す古い言葉
明治3年(1870)   開拓判官辞職(従五位返上) 
明治8年(1875)   北野天満宮へ大神鏡を奉納 上野東照宮に大神鏡を奉納
明治9年(1876)   上野東照宮へ大神鏡を奉納
明治12年(1879)   大阪天満宮へ大神鏡を奉納
明治13年(1880)  吉野の金峯山神社へ大神鏡を奉納
明治15年(1882)  太宰府天満宮へ大神鏡を奉納
明治18年(1885)  1月までに25霊社へ小神鏡と石標奉納
           第1回大台ケ原探査(68歳)
明治19年(1886)  第2回大台ケ原探査、「聖跡二十五霊社順拝双六」
明治20年(1887)  第3回大台ケ原探査 

明治21年(1888)  2月10日、東京神田五軒町の自宅で脳溢血により死去
    遺骨は東京都豊島区駒込の染井霊園の1種ロ10号2側に埋葬されているほか、
    武四郎が最も好きだったという西大台・ナゴヤ谷に明治22年(1889年)に
    建てられた「松浦武四郎碑」に分骨されてもいる
松浦武四郎の関するリンク集北海道の名付け親 松浦武四郎と綱敷天満宮 小生のブログです。神戸市の綱敷八幡宮との関連で記事を書いています。
https://www.nhk.or.jp/sapporo/nispa/NHKの公式サイトです。
松阪歴史探訪 松浦武四郎編「松浦武四郎の生涯と功績」 松阪市が動画で松浦武四郎の功績を紹介
https://takeshiro.net/松浦武四郎記念館(松阪市)の公式サイト
https://ja.wikipedia.org/wiki/松浦武四郎Wikipediaによる解説
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/sum/sho/index.htm/北海道命名150年 松浦武四郎生誕200年に関するサイト
松阪市のサイト:https://www.city.matsusaka.mie.jp/
 

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松浦武四郎が建立した石碑については下記サイトが詳しい
松浦武四郎の石碑をたずねて ―聖跡二十五社天満宮巡拝―

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