2018年10月3日、後藤回漕店の本社ビルの写真を撮るために国道2号線沿いを歩いており
その時に戦没した船と海員の資料館に寄りました。
エントランス付近に今回紹介する日本海員組合の初代組合長の楢崎猪太郎の銅像があります。
関連も含めて写真紹介します。
上の写真が楢崎猪太郎の銅像です。
下に略歴が書いてありますので要約紹介します。
日本海員組合の初代組合長として不滅の基礎をつくった。
最後に「外観より内容 声より力」という言葉が添えられています。
コトバンクによる楢崎猪太郎の情報:
生年:元治2年2月20日(1865年)
没年:昭和7(1932)年9月22日
出生地:福岡県糸島郡北崎村
学歴〔年〕:大阪商船〔明治14年〕卒
経歴:三井物産会社船舶部に勤務し、18年間海上生活をする。明治38年陸上監督となり
三井船員規程を作成。42〜大正7年まで満鉄大連埠頭事務所長を務め、9年には高級船員の
団体である海員協会の専務理事に就任。多くの船員団体をまとめて10年日本海員組合を創設し、
初代組合長。以後、海員組合の労資協調路線を推進。昭和2年に辞職。
この間禁酒運動も積極的におこなった。
上の写真は楢崎猪太郎の銅像の遠景。壁には全日本海員組合と書かれたモニュメント在り
上の写真は日本海員会館記念碑の説明板。
上の写真は2階の展示室に登る階段の様子
全日本海員組合のサイトに戦前の海員組合の歴史に記載されていますのでリンク