2019年10月4日(金)、岡山県の備前市に所用があった為、JR西日本赤穂線の西片上駅
から備前市役所まで歩いて行った。旧山陽道で碑が設置されており見どころが多い。
途中で見つけた史跡を写真紹介していきます。
今回はその第9回(最終回)でJR西片上駅構内の観光案内板について写真紹介します。
シリーズ過去の記事:
第1回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その1 宇佐八幡宮
第2回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その2 潮光山正覚寺
第3回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その3 往還名主跡
第4回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その4 刀工備州祐高造之宅跡
第5回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その5 片上鉄道跡
第6回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その6 津山街道
第7回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その7 清水紫琴(豊子)生誕の地
第8回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その8 旧山陽道 片上宿(方上津)
上の2枚の写真はJR西日本西片上駅の駅舎と駅より東岡山方面を観た光景
上の2枚の写真は地元の備前緑陽高校福祉15期生が描いた福祉マップ
上の写真は備前市西片上地区案内
下に観光名所の夫々の拡大写真を添付しました。
上の写真は真光寺
Wikipediaの解説文を引用紹介します。
寺伝によれば行基により奈良時代の天平11年(739年)に創建されたとされ、行基が造立した
薬師如来が安置されたといわれている。天平勝宝年間(749年~757年)に報恩大師が孝謙天皇
の勅命により、備前四十八箇寺の一つに加えたという。 南北朝時代には兵火のために衰微するが
室町時代の応永年間(1394年~1428年)に良宗法印が中興した。しかし、戦国時代に再び衰退した。
江戸時代になると、岡山藩の保護を受け再び復興した。当初、山号は小滝山と称していた。
慶長7年(1602年)心王院勢恵上人(しんのういんせいえしょうにん)が仁和寺に招かれ、
その際に仁和寺の別称である「御室」から一字を賜り、山号を御瀧山と改称した。
現在、自性院・花蔵院の2院が塔頭として残っている。
上の写真はお夏追悼歌碑
『情熱の 炎となりて 燃えつくす お夏のみたま ここに鎮まる』の追悼文を刻んだ碑が立っています。
左手にはお夏の墓があります。
上の写真は茶臼山公園
茶臼山公園は富田茶臼山城跡を公園化したものです。昭和54年(1979)に完成。
富田茶臼山城は、富田松山城の出城として築かれたそうです。
天正7年(1579)山名勢に攻められて落城
上の写真は恵美寿宮
上の写真は旧片上鉄道ゼロ起点
上の写真は藤原審爾文学碑
平成24年(2012)に建立された記念碑。除幕式には次女で女優の藤真利子が出席。
上の写真は宇佐八幡宮
本ブログのシリーズ第1回で紹介しています。