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明石市船上町の護国寺密蔵院への訪問記 on 2019-12-8

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本日は2019年12月8日に訪問した明石市船上町の地蔵院を写真紹介します。

地蔵院には明石市で最も大きい地蔵尊(報徳大地蔵尊)があり存在感を示しています。

江戸時代には明石藩主の保護を受け、播磨でも有数の大寺院であったと伝わる寺院です。

入り口の右手にある油掛け地蔵も見逃せない見所です。

護国寺密蔵院の基本情報

住所:明石市船上町3丁目−8  TEL:078-922-4488

宗派:真言宗大覚寺派 山号:龍幡山  御本尊:准胝観音

開創:延喜4年(904)観賢僧正 中興は応永20年(1413)僧 運公

上の写真は密蔵院のシンボルと言える大地蔵

昭和20年(1945)1月19日から始まった再三にわたる空襲によって大きな被害を受け

密蔵院も全焼、多くの人が亡くなった。昭和27年(1952)、明石の戦没者の供養のため、

大地蔵尊の建立が計画され、昭和31年(1956)に開眼供養が行われた。

以下はだぶった記載もありますが~新明石の史跡~よりの引用文です。

真言宗大覚寺派護国寺密蔵院は、平安時代の延喜4年(904)に観賢僧正により創建された
寺と伝えられています。

記によりますと、室町時代の応永年間(1394-1428)に僧運公が中興し、この地方の

中心として栄えました。当時、八つの末寺があったといいます。

明石藩主の信仰も厚く、仏像が寄贈されるなど明治の初めまで大寺院の威勢を誇っていました。
しかし、昭和20年の大空襲によりこれら全ては灰燼と帰しました。
昭和27年、戦没者の慰霊のため、地上15mという報徳大地蔵尊を建立、
同31年に開眼供養式が行われました。
昭和51年には本堂が再建され、消失した准胝観音に代わって大日如来が本尊として祀られましたが、
平成4年にもとの准胝観音像が刻まれ、仏足石とともに開眼法要が執り行われました。

上の写真は文化元年(1804)に出版された「播磨名所巡覧図絵」に描かれた密蔵院です。

海岸の松林に沿って白壁の塀がめぐらされており床の高いお堂と立派な山門のある大きな

寺院であったことが理解できます。

当時の寺の名前が観音寺であったことも判ります。

密蔵院の東側には山王社も描かれています。

密蔵院の東南には望海浜の建物も描かれています。

上の写真は望海浜でウミガメの産卵地でもあるようです。

上の写真は密蔵院の本堂です。

鉄筋コンクリートの本堂が再建されたのは昭和51年(1976)のことである。

 

上の2枚の写真は油掛け地蔵

般若心経を唱え願い事を願掛けします。

上の2枚の写真は仏足石

上の2枚の写真は巨大な五輪塔と歴代住職の墓

上の3枚の写真は尊勝塔

上の写真は平成供養塔(宝篋印塔)

上の3枚の写真は境内の地蔵尊

上の写真は御崎神社と境内の摂社

 

 

    


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