2020年3月23日、姫路市水道資料館、日本玩具博物館をメインの訪問先として
JR西日本播但線の仁豊野(にぶの)駅に下車しました。
仁豊野駅を出たところに和辻哲郎の生家が駅から東100mにあるとの石碑を見つけ
和辻哲郎の生家の碑にたどり着いた。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
Image may be NSFW.
Clik here to view.
上の2枚の写真が和辻哲郎の生家の碑です
表面に「春の来た日に和辻哲郎ここに生まれる」と書かれています。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
上の写真は裏の碑面の文章で平成4年(1992)姫路市文化振興財団と地元自治会
が建立したことが判ります。
碑文には明治22年(1889)3月1日に父和辻瑞太郎・まさの次男として
この地(仁豊野309番地)に生まれたこと昭和30年(1955)に文化勲章を受章したこと
昭和35年(1960)12月26日に逝去したことが記載されています。
和辻哲郎と言えば奈良の寺を巡った「古寺巡礼」(大正8年(1919)に刊行)や、
日本の思想界に影響を与えた「風土」さらに「日本精神史研究」「日本倫理思想史」
などの著作で知られ生家は昔の医院の雰囲気を残す佇まいです。
昭和63年度(1988)に「和辻哲郎文化賞」が創設され優れた著作や研究をされた
人々に贈られています。
今年の和辻哲郎文化賞のポスター掲示が近くの掲示板に張られたいたので添付
(下の写真)
Image may be NSFW.
Clik here to view.
朝日新聞2019-1-29電子版にこの碑の建立に関する記事が掲載されており
「碑が180万円の寄付金により建立されたこと和辻哲郎は晩年の著書「自叙伝の試み」
の中でこんこんとした清流(市川)が流れていると故郷を称え糸紡ぎや鍛冶、
豆腐づくりなどで村人が協力して暮らす姿を克明に描いた」と紹介
Wikipediaより和辻哲郎の略歴を引用紹介させていただきます
1889年 - 兵庫県神崎郡砥堀村(とほりむら)仁豊野(にぶの)(現:姫路市仁豊野)にて誕生。
1906年 - 旧制姫路中学校(現:兵庫県立姫路西高校)卒業。
1909年 - 第一高等学校卒業。
同年、後藤末雄、大貫晶川、木村荘太、谷崎潤一郎、芦田均らとともに同人誌、
第二次『新思潮』に参加、第一号に載せたのは戯曲「常盤」。
以後も、バーナード・ショーの翻訳などをするが、次第に文学から遠ざかる。
谷崎の才能に及ばないと感じたからといわれる。
1912年 - 東京帝国大学文科大学哲学科卒業、同大学院進学。
ラファエル・ケーベルを尊敬し、卒論を読んでもらいたいが為に英語で執筆した。
静かな環境のもとで卒論に取り組むため、藤沢市(当時は高座郡藤沢町)鵠沼にあった
後輩高瀬弥一邸の離れを借りて執筆する。卒論完成と同時に高瀬弥一の妹、照に求婚した。
同年、高瀬照と結婚。阿部次郎との親密な交流が始まる、また安倍能成とも終生交流した。
1913年 - 紹介を得て夏目漱石の漱石山房を訪れるようになる。『ニイチェ研究』を出版。
漱石の『倫敦塔』に強い感銘を受けた和辻は、熱烈な敬慕の情をしたためた手紙を書き送った。
1915年 - 藤沢町鵠沼の妻・照の実家の離れに1918年まで住む。
この間、別の離れに安倍能成、阿部次郎も住み、交流。
小宮豊隆・森田草平・谷崎潤一郎・芥川龍之介らの来訪を受ける。
1916年 - 漱石および岳父高瀬三郎の死。この時期、日本文化史に深い関心を寄せ始める。
1917年 - 奈良を旅行し、古寺を巡る。
1918年 - 東京市芝区に転居。
1919年 - 『古寺巡礼』を出版。
1920年 - 東洋大学講師
1921年 - 雑誌『思想』の編集に参画を始める。
1922年 - 法政大学教授
1925年 - 京都帝国大学助教授。京都市左京区に転居。
1927年 - ドイツ留学。(~1928年)
1929年 - 龍谷大学講師兼務。
1931年 - 京都帝国大学教授
1932年 - 大谷大学教授兼務、京都大学より文学博士号取得 「原始仏教の実践哲学」。
1934年 - 東京帝国大学文学部倫理学講座教授。東京市本郷区に転居。
1943年 - 宮中にてご進講、講題は「尊皇思想とその伝統」。
1945年 - 雑誌『世界』の創刊に関わる。
1949年 - 定年退官。日本学士院会員。
1950年 - 日本倫理学会を創設し会長に就任(死去まで)。
1951年 - 『鎖国』で読売文学賞。賞金は倫理学会に寄贈した。
1953年 - 『日本倫理思想史』で毎日出版文化賞
1955年 - 秋に文化勲章受章。
1958年 - 皇太子妃となる正田美智子のお妃教育の講師を務めた。
1960年 - 心筋梗塞により練馬区南町の自宅で死去。
墓所は鎌倉市山ノ内の東慶寺。戒名は明徳院和風良哲居士。
最後にJR仁豊野駅の駅舎と和辻哲郎の生誕の地の石碑(駅前に設置)の写真を添付して
筆をおきます。
Image may be NSFW.
Clik here to view.
Image may be NSFW.
Clik here to view.