2020年3月3日、大津市坂本で明智光秀の所縁の場所を訪ね歩きました。
本日はその第7回で石積みの郷公園を紹介します。
元亀2年(1571)の比叡山の焼き討ちの時に打ち鳴らされた鐘や穴太衆の
石垣を紹介する公園でJR湖西線の比叡山坂本駅のすぐそばにあります。
シリーズ過去の記事:
第1回 坂本城本丸跡
第2回 明智光秀像と坂本城跡公園
明智光秀の略年譜を掲載
第3回 東南寺
第4回 坂本城址の石碑
第5回 明智塚
第6回 聖衆来迎寺
石積みの郷公園の住所は大津市坂本7丁目32−22
Goo地図を添付しておきます。
生源寺の破れ鐘
右奥に見えている鐘楼の中の鐘は最澄の生まれた生願寺から移設されたもので通称「破れ鐘」
と呼ばれています。織田信長による比叡山焼き討ちの際に、危を告げるために釣鐘を打ち鳴らし
続けたところ、ひび割れたと言われるのが「破(わ)れ鐘」です。
生源寺は、京阪坂本駅の近くに所在する寺院で、境内には最澄の産湯の水を汲んだ井戸が
残されていることから、最澄の生誕地と伝わっています。
穴太衆の石垣
関連ブログ
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その5 穴太衆積み石垣
延暦寺の門前町の坂本では古くから穴太衆が住み石垣を築く技術を伝承し
高い技術があった。明智光秀はこの技術を城の石垣づくりに活用した。
若き日の最澄像
公園の遠景