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JR亀岡駅コンコースの石田梅岩像 on 2020-3-24

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2020年3月24日、亀岡市の亀山城跡など明智光秀所縁の場所を訪問するために

亀岡に来ていました。

JR亀岡駅のコンコースに石門心学の開祖「石田梅岩」がありましたので写真紹介

します。

亀岡市民の方は大部分の方が石田梅岩の名前を知っておられると思いますが

神戸市民である私は初めて知った偉人であります。

上の2枚の写真が石田梅岩像です。

読み難いのでそのまま転記しておきます(下に添付)

石田梅岩(ISHIDA BAIGAN)(1685-1744)は江戸中期に、現在の亀岡市東別院町に生まれました。

本名を興長、呼び名は勘平(KANPEI)といい、律義な父の影響を受けたと伝えられており、

京都の商家で、仕事に励むとともに、『人の人たる道』を求めて勉学にも努力を重ね、やがて

『石門心学の祖』(SEKIMONSHINGAKU)となりました。

享保14年(1729)梅岩45歳の時、京都 車屋町御池上ルで「聴講無料・出入り自由・女性もどうぞ」

という、江戸時代としては型破りな講座で、日常生活における正直・勤勉・倹約・孝行などを

わかりやすく講義し、『商人道徳』の確立に大きく貢献しました。

延享元年(1744)60歳の生涯をとじましたが、梅岩の教えは全国に普及するとともに、時代を

超えた現在でも高く評価されています。生涯学習都市を宣言している亀岡市では、梅岩は

「市民の学ぶ心」のシンボルでもあります。    平成20年4月・亀岡駅舎改築記念

上の写真は石田梅岩の教えが書かれています。

商人に対しての教えであり判り易い文章で簡潔に説いています。

近くにリーフレットが置かれておりここからもう少し詳しい石田梅岩の生涯を辿ります。

まず、略年譜を作成しました。

貞享2年(1685) 9月15日丹波国桑田郡東懸村(亀岡市東別院町東掛)で誕生

       父:石田権右衛門 母:たね 2男1女の次男 名は興長。通称は勘平 号は梅岩

元禄8年(1695)11歳 初めて京都の商家で奉公

元禄12年(1699)15歳 商家を辞して帰郷

宝永4年(1707)23歳 再度上京、商家黒柳家に奉公

享保元年(1716)32歳 父・権右衛門が逝去(71歳)

享保12年(1727)43歳 小栗了雲(隠遁の学者)と出会う

           この頃商家黒柳家への奉公辞す

享保14年(1729)45歳 車屋町御池上る町の自宅で講義開始(聴講料不要)

元文元年(1736)52歳 母・たねが逝去(82歳)

元文2年(1737)53歳 堺町通六角下東側に転居

元文4年(1739)55歳 7月「都鄙問答」刊行

延享元年(1744)60歳 5月「倹約斉家論」刊行

           9月24日 逝去

           9月27日 洛東鳥辺山延念寺に葬られる

 

 

上の写真はリーフレット表紙の石田梅岩の肖像画(京都明倫舎蔵)

上の写真は石田梅岩の生家

上の写真は梅岩講釈之図(京都明倫舎蔵「石田勘平一代記」挿入図)

最盛期には、門人400名にのぼり、京都呉服商人の手島堵庵(1718~1786)をはじめ

中沢道二(1725~1803)・・・堵庵の弟子、「松翁道話」を著した布施松翁(1725~1784)

心学道話の最高峰とされる「鳩翁道話」の柴田鳩翁(1783~1839)このほかに・斎藤全門・

大島有隣等優れた人材を輩出した。

石門心学を学ぶ学校=心学講舎は全国に170以上設立された。

明治維新以降、日本の近代化ができたのは石門心学としたのは米国の社会学者ロバート・N・ベラー

(1927~2013)の「徳川時代の宗教(Tokugawa Religion)」(1957)で彼はこの著の中で

カルヴァン主義商業倫理の日本版とされ、日本の産業革命成功の原動力とした。

上の写真は石田梅岩の遺品

 

 


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