表題シリーズの第3回で旧高砂樋門跡の石碑について写真紹介します。
今回の散策のガイド本として下に添付のPDF資料を片手に未訪問の場所を散策しました。
http://www.city.takasago.lg.jp/index.cfm/19,5421,c,html/5421/20170706-135802.pdf
http://www.city.takasago.lg.jp/index.cfm/19%2C5421%2Cc%2Chtml/5421/20170706-135802.pdf
過去のシリーズ
第1回 山陽電車 高砂駅 駅南地区の散策 on 2020-7-2 その1 藍屋町の川地蔵
上の写真は旧高砂樋門跡の石碑(石柱) 平成29年(2017)3月に設置
読みずらいのでそのまま転記します。
加古川は、全長96Km、流域面積1,730㎢に及ぶ兵庫県最大の川である。その流れは
高低差が少ないため普段は緩やかであるが、上流で大雨が降ると一気に増水し川が
氾濫することから「暴れ川」と恐れられていた。明治になると水害が多発し、
それを解消するために、大正7年(1918)から、昭和8年(1933)にかけて加古川
改修工事を行い、その時に河口の高砂堀川の上端に樋門を設けた。大正13年(1924)
9月竣工の高砂樋門は、「平時は堀川との連絡を計る舟航に便にし、洪水の際には
扉及び堰桁を以て洪水の遮断を図り、高砂町をして洪水の患をなくすると共に、
堀川への土砂の流入を防ぐ目的」だったという。
上の2枚の写真は石碑より堀川を臨んだ風景です。
上の写真は現在の高砂樋門です。
上の写真は高砂樋門の仕様が書かれたプレート
上の写真は江戸時代の堀川
江戸時代、高砂は加古川舟運と海運の交易拠点として繁栄した。
碁盤目状の町割りと、まちを取り囲む堀川が特徴的でこの辺りは北堀川があった。
稲荷橋は、北堀川にかかる石橋で、かつては荷物を積んだ高瀬舟がこの辺りを
行き交ったことであろう。堀川沿いには商家や蔵が軒を連ね、百間蔵屋番書*1もあり、
物資や人の交流にさかんであった。
この界隈は、港町高砂を想起させるよすがが漂っている。
上記の文章は北堀川の現地説明板よりの転記です。
上の写真は工楽松右衛門邸の説明パネル
上の写真は高砂大橋から観た堀川(山側=北側)
上の写真は高砂大橋から観た堀川(海側=南側)