2020年8月21日(金)、18:00からのNHKニュースで表題の報道がありました。
憶えとして残すためにブログとしました。
上の8枚の写真がNHKテレビの報道(2020-8-21)の内容です。
ニュース報道の内容を文章としたものを下に添付
大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場する戦国時代の大名、浅井長政が姉川の戦いで織田信長に敗れたあと京都の寺に送った文書が見つかり、専門家は長政が敗れた後も信長にとって脅威になっていたことを示す貴重な資料だと指摘している。この文書は京都市左京区の寺、勝林院で見つかり滋賀県長浜市の太田浩司学芸専門監が調べた結果、花押や内容から長政が寺に送った「安堵状」と判断された。安堵状は幕府や領主が支配下にある寺院などに対し領地を保証するために発行したもので今回の文書には「領地異議あるべからず候」と記されている。書かれたのは西暦1570年11月でこの5か月前に長政は姉川の戦いで敗れている。関西学院大学の早島大祐教授は「長政が敗れたあと一定の勢力を保っていたことを裏付ける内容」だとしたうえで長政が京都に影響力を残し上洛していた信長の脅威になっていたことを示す貴重な資料だと指摘している。
勝林院の蔵からその後、この地を支配した明智光秀の安堵状も見つかっているようです。
関連年表(織田信長と徳川家康を中心として)
元亀元年(1570)
6月 織田信長、徳川家康が姉川で浅井・朝倉氏を破る
9月 石山本願寺と織田信長の戦い 石山戦争始まる ~1580年5月
元亀2年(1571)
9月 比叡山延暦寺焼き討ち
元亀3年(1572)
12月 徳川家康、三方ヶ原で武田信玄に敗れる
元亀4年(1573)
7月 足利義昭を追放(15代続いた室町幕府滅亡)
天正元年(1573)7月28日以降
織田信長 浅井・朝倉氏を滅ぼす
以下は明智光秀を中心としたこの時期の年表
・1570年(元亀元年):42歳
金ケ崎の退け口で藤吉郎と共に殿(しんがり)を務める
姉川合戦に参戦 志賀の陣に参陣
・1571年(元亀2年):43歳 足利義昭への仕官を中止、信長のみに仕える
森可成の死後、宇佐山城を任される
織田信長が比叡山延暦寺焼き討ちを行う
光秀は実行部隊として武功を挙げる
・1572年(元亀3年):44歳 木戸城、田中城攻めを行う
柴田勝家、佐久間信盛、滝川一益とともに河内国交野郡の片岡氏の調略を策す
働きが認められ、近江国滋賀郡に5万石を与えられる。
琵琶湖の近くの坂本城が完成こちらに移る
・1573年(元亀4年/天正元年):45歳
今堅田の本願寺勢を攻撃
光秀、戦死者を弔う供養米を西教寺に寄進
NHK大河ドラマは中断期間が終わり8月30日に第22話から再開されます。
当初、47話までの予定でしたが今後、順調に製作が進められた場合、12月20日に
38話までで終了か?あと16回の放送があるのかな・・・・・
第22話では十兵衛を頼る第13代将軍、足利義輝(1536-1565)との物語のようです。
足利義輝は三好長慶に29歳の若さで殺されてしまいます。
その後、第14代 足利義栄 在位期間 永禄11年(1568)2月-9月
第15代 足利義昭 在位期間 永禄11年(1568)から天正6年(1578)