2020年10月23日、久しぶりに「多井畑の厄神さん」をはじめとする周辺地域を
散策してきました。
第1回は春雨・村雨の墓と平家落武者の墓という題で記事を書きました。
今回シリーズの第2回として「鏡の井」をテーマに書いていきます。
仁和2年(886)光孝天皇のいかりにふれて須磨に流されていた在原行平と恋をした
多井畑の村長の娘で姉の春風=もしほ、と妹の村雨=こふじは
在原行平の死後、多井畑に帰り、淋しく没したと伝えられています。
下の写真の鏡の井は春風、村雨が鏡の代用として使用したとされる井の跡です。
昔は銅製の鏡も存在していましたが、庶民は水面や手桶に汲んだ水面に自分の姿を
写すのが通常でした。
上の写真は寛政8年から10年(1796~98)に刊行された当時の旅行ガイド
「摂津名所図会」の中に観られる鏡の井
摂津名所図会では鏡の井の名称は鏡の池と表記されています。
鏡の池の説明書き:
八幡宮の下半町ばかり西にあり。諺(ことわざ)に云ふ、松風・村雨
ここにて水鏡を見て髪を梳り(けづり)しとぞ。