シネマ「シンドラーのリスト」の放送がBS3で2020年12月16日(水)13:00~16:17
に放映され、14時半頃から視聴した。ハイライト場面を写真紹介します。
シンドラーのリストの概要
巨匠スティーブン・スピルバーグ監督が、ナチスの虐殺から多くのユダヤ人の命を
救った実在のドイツ人実業家オスカー・シンドラーを描き、アカデミー賞7部門に輝いた名作。
第2次大戦下、ドイツ占領下のポーランド。ドイツ人の実業家オスカー・シンドラーは、
迫害されるユダヤ人を労働者として雇い事業を成功させる。
しかし、ユダヤ人が居住地から収容所に送られ、次々に殺されていくのを目の当たりに
したシンドラーは、全財産を投じて彼らの命を救おうとするが…。
映画の主なキャストは以下のとおり
【出演】リーアム・ニーソン、ベン・キングズレー、レイフ・ファインズ
【原作】トマス・キニーリー 【脚本】スティーブン・ザイリアン
【監督】スティーブン・スピルバーグ 【音楽】ジョン・ウィリアムズ
Wikupediaが解説したストーリーは以下のとおり。
1939年9月、ドイツ軍によりポーランドが占領され、ポーランドの都市クラクフも
ドイツ軍の占領下に置かれた。ユダヤ人を激しく蔑視するナチス党政権下の
ドイツ軍はクラクフ在住のユダヤ人に移住を強制し、彼らをクラクフ・ゲットー
の中へ追放していた。
そんな中、ナチス党の党員でもあるドイツ人実業家オスカー・シンドラー
(リーアム・ニーソン)が、クラクフの町へやってきた。
彼は戦争を利用してひと儲けすることを目論み、潰れた工場を買い取って
琺瑯(ホーロー)容器工場を開設。有能なユダヤ人会計士イザック・シュターン
(ベン・キングスレー)に工場の経営を任せ、「安価な労働力」として
ゲットーのユダヤ人を雇い入れ、また持ち前の社交性でSSの将校に取り入って
自らの事業を拡大させていった。SS=ナチスの親衛隊
しかしやがて冷酷なSS将校アーモン・ゲート少尉(レイフ・ファインズ)が
クラクフ・プワシュフ強制収容所の所長としてクラクフに赴任して来る。
ゲートとその部下のSS隊員達は、ゲットーや収容所でユダヤ人を次々と殺戮していく。
シュターン初め、シンドラーの工場で働くユダヤ人たちにも危機が迫る中、
金儲けにしか関心がなかったシンドラーの心境に変化が生じていく。
そして彼はあるリストの作成を決意する。
上の2枚の写真はオスカー・シンドラーを演じたリーアム・ニーソン
上の写真は戦後のオスカー・シンドラーの実話を字幕で紹介した場面。
Wikipediaに妻エミーリエとの関係を次のように解説しています。
妻エミーリエとは1957年以来疎遠となっており、離婚こそしなかったものの
再び相見えることはなかった。夫の死の20年後、彼女は夫の墓前で次のように胸中を明かした。
「やっと会えたのね…。何も答えを聞いてないわ、ねえ、どうしてわたしを見捨てたのかしら…。
でもね、あなたが亡くなっても、わたしが老いても、ふたりが結婚したままなのは変わらないし、
そうやってふたりは神さまの御前にいるの。あなたのことは全部許してあげたわ、全部…」
晩年、身寄りはバイエルンに居る姪一人きりだったシンドラー夫人は、
アルゼンチンのサン・ビセンテでペットに囲まれて過ごす。
自宅には反ユダヤ主義の極右過激派から守るため、アルゼンチン警察の
制服警官が24時間常駐していた。2001年7月のベルリン訪問中、
彼女は記者たちに、人生最後の時間をドイツで過ごすことが最大にして
最後の望みであり、更にホームシックがどんどん重くなっていると語った。
そして10月、ベルリン市内の病院で亡くなった(93歳)。
ミュンヘンから1時間ほどの距離にあるヴァルトクライブルク Waldkraiburg
の墓地に埋葬され、墓石に次のような言葉がドイツ語で刻まれている。
「一人の人間を救う者は、全世界を救う。(Wer einen Menschen rettet, rettet die Ganze Welt.)
上の写真は映画の中で戦後、1958年エルサレムに招かれ「正義の人」に選ばれ
ユダヤ人虐殺(ホロコースト)記念館の前の「正義の通り」に植樹を行ったことを
字幕で紹介された場面。600万人余に及ぶ犠牲者に捧ぐとの字幕も印象に残った。
(下の写真)
下記はWikipedia(シンドラーのリスト)よりの引用です。
映画のクレジットではシンドラーが1958年に「諸国民の中の正義の人」に名を連ねて
顕彰されたとしているが、実際は1967年に顕彰された。
イスラエルのヤド・ヴァシェム・ホロコースト記念館が実際に
シンドラーの名を登録したのは、本作が発表された1993年である
上の写真はシンドラーに救われ今も健在なユダヤの人々
上の写真はオスカー・シンドラー(1908年Apr.28~1974年Oct.9)の墓碑
上の写真は墓参する妻のエミリエ・シンドラー
ポーランドで生き延びたユダヤ人は、今4,000人弱
シンドラーのリストに記されたユダヤ人は子孫を含め6,000人以上を数える
2009年4月6日 ユダヤ人801人の氏名を記したリストの実物のコピーが、豪シドニー(Sydney)
の図書館から偶然発見されたことが明らかにされた
上の写真はポーランドのクラクフで絞首刑となったアーモンド・ゲート
映画の原作
映画の原作となったのは、1982年にオーストラリアの作家トーマス・キニーリーが
著したノンフィクション小説『シンドラーの箱船』(原題Schindler's Ark、米国では改題して
『シンドラーのリスト』米題 Schindler's List として出版、日本では幾野宏訳により
『シンドラーズ・リストー 1200人のユダヤ人を救ったドイツ人』として出版)は
ベストセラーとなった。
映画のハイライトYoutube動画
Schindler's List (1/9) Movie CLIP - That's Oskar Schindler (1993) HD
Schindler's List (2/9) Movie CLIP - Commandant Amon Goeth (1993) HD
The Girl in Red - Schindler's List (3/9) Movie CLIP (1993) HD
中略(興味のある人は探して観てください)
The List is Life - Schindler's List (7/9) Movie CLIP (1993) HD
Schindler's List (8/9) Movie CLIP - He Who Saves One Life Saves the World Entire (1993) HD
Schindler's List (9/9) Movie CLIP - The Schindler Jews Today (1993) HD
戦後のオスカー・シンドラー本人の実映像(Youtube動画)
その後のオスカー・シンドラー