1962年に出版された「ミナト神戸」朝日新聞社神戸支局編のPage88に神戸タワーが
紹介されています。著作権の切れた書籍であるので写真と本文をそのまま紹介します。
上の写真はミナト神戸で紹介された神戸タワー
撮影時期は明記されていないが1962年(昭和37年)より前に撮影されたことは確実
上の写真は本文
神戸タワーが大正13年(1924)に建てられたこと13階に展望台があったこと
展望台に上がるエレーベーターの利用料が大人20銭、子供10銭であったことなどが
記述されています。
神戸タワーの高さについて
話題は変わりますが、神戸新聞2019年4月15日夕刊に神戸タワー再考という記事で
神戸タワーの高さについて気鋭の郷土史家・佐々木孝昌さんが調査された結果について
記述されていました。
多くの書物では神戸タワーの高さが90mと書かれていたが間違っている。真実は57m
(正確には56.94m)であるとの結論である。
1930年(昭和5年)の神戸の案内本に神戸タワーの高さは300尺=90mとあり、これが下地
となって戦後90mが定着したと推定。1968年(昭和43年)のタワー解体を伝える新聞には
高さ57m13階建てとある。さらに1978年(昭和53年)の神戸新聞連載「聚楽館物語」には
56.94mと記載されていたのが上記結論の根拠である。
1968年(昭和43年)の解体
神戸タワーは昭和43年(1968)10月下旬に完全に解体されました
神戸タワー跡のモニュメント
上の写真は湊川公園の南側に設置された時計塔 撮影:2018年3月21日
時計塔の4面に掲示されているパネルも含めて写真紹介します。
上の写真は時計塔と神戸タワーに関する説明書き 撮影:2018-3-21
読みづらいと思いますので、以下説明書きより要約引用します。
「かって、新開地は神戸一の繁華街として栄え、その中心湊川公園には繁栄のシンボル
として神戸タワーがそびえたっていました。このタワーからは神戸市内が一望でき、晴れた
日には遠く紀淡あたりまで眺望でき、東洋一だと神戸ぅ子は自慢していました。
湊川公園に神戸タワーを模した時計塔を建設しました。
この時計塔は高さ8mの花崗岩石張・アルミダイキャスト作りで、4個のベル(カリヨン)
が備えつけられ時間がくるとメロディを奏でます。夜間には両側の植え込みから
ライトで時計塔が浮かびあがるようになっています。」
昭和60年(1985)6月15日 神戸兵庫ライオンズクラブ湊川公園活性委員会
上の写真はかってこの地にあった湊川公園のシンボル「神戸タワー」
神戸タワーは大正13年(1924)に建設されました。高さ90m57mもありました。
昭和9年(1934)からネオンを輝かせた。昭和43年(1968)に取り壊された。
時計塔の側面パネルには時計塔の断面構造図(写真が不明瞭なので省略)と開港時の
兵庫津と1985年の兵庫津付近の地図(下の2枚の写真)