2020年10月30日、明石港から淡路島への連絡船ジェノバラインで岩屋港へ行き
淡路市が運営するコミュニティバス「あわ神あわ姫バス」で淡路市を周回しました。
今回、その第1回として岩屋港について記載します。
上の写真はジェノバラインの船上から撮った岩屋港の街並みです。
上の写真は当日、乗船したジェノバラインの船「まりん・あわじ」
上の写真は岩屋港の位置を示したもの
上の写真はジェノバラインの乗り場「岩屋ポートビル」
住所:兵庫県淡路市岩屋925-27
Goo地図を添付しておきます。
明石海峡
上の写真は明石海峡の説明。
これからは現地の説明版から岩屋港の今昔(歴史)を紹介していきます。
岩屋港のはじまり
上の写真は岩屋港のはじまりの説明部分
岩屋港は1637年、徳島藩主蜂須賀忠英候が、岩屋を参勤交代の要地として、家臣の
状屋源兵衛に命じて岩屋海岸に2つの突堤を築かせたことによって始まったと伝え
られています。淡路島と紀州を結ぶ由良港と共に、淡路島の北端に位置する岩屋港は
明石との交通の要衝として古くから重要な役割を果たしていました。
写真:岩屋浦新防堤図 寛政4年(1792)国文学研究資料館所蔵 淡路国名所図絵
明治の岩屋港
上の写真は明治時代の岩屋港の説明部分
岩屋港は古くから漁場に恵まれた港として栄えていました。中でも蛸壺を海中に落として
蛸をおびき寄せる蛸漁が盛んに行われていました。また、岩屋港周辺には景勝地として
有名な松帆の浦や絵島などがあり、特に夏の海水浴シーズンには阪神地方から多くの
観光客が岩屋港を利用しました。
岩屋港の発展
上の写真は岩屋港の発展に関する説明部分
本州と淡路・四国を結ぶ交通の要衝であった岩屋港は何度も築港計画が立てられ
工事が行われてきましたが、自然条件が厳しく工事途中で挫折し、昭和10年にようやく
ほぼ現況の港ができました。現在、岩屋港には明石港との定期船が運行しており、
淡路島の北の玄関口として利用されています。
昭和22年(1947年)の岩屋港
上の写真は1947年の岩屋港の航空写真です。
平成26年(2014年)の岩屋港
上の写真は2014年の岩屋港の航空写真です。
ほぼ現在の状況と同じと言えます。