2020年10月30日、明石港から淡路島への連絡船ジェノバラインで岩屋港へ行き
淡路市が運営するコミュニティバス「あわ神あわ姫バス」で淡路市を周回しました。
今回は淡路島(淡路市)散策記シリーズの第2回として絵島について記載します。
シリーズ過去の記事は下記のとうりです。
淡路島(淡路市)散策記 その1 岩屋港 on 2020-10-30 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
絵島の住所は兵庫県淡路市岩屋884-4
上の写真は絵島(左手)の遠景です
上の3枚の写真は色々な角度から撮った絵島
古事記、日本書紀によると伊弉諾尊と伊弉冉尊の二柱の神が天浮橋に立たれて
天沼矛(ぬぼこ)をさし下して海水をかきまわし、引き揚げた時に矛の先から
滴ったものが積もって一つの島となった。これが淤能碁呂(おのごろ)島であるという。
この島で二神による国生みが行われるのである。
南あわじ市におのころ島神社が有り淤能碁呂島の有力候補の一つであるが、ここ絵島も
淤能碁呂島の候補の一つである
以下現地説明板によると
太古、イザナギ・イザナミの二神が、国づくりの時最初に生まれた国が「オノコロ島」であり、淡路島を指すとされていますが、この絵島であるという説もあります。
島の頂上にある石塔は、平清盛の兵庫築港の際に、人柱となった侍童、松王丸の菩提を弔うために建てられたものと伝えられています。この島は砂岩でできており、もとは陸つづきでしたが波の作用によって島となりました。
この自然が生み出した絵島は、周囲の山水との調和も見事で、特に夜景は「海に浮かぶ光の舞台」として、神秘的な姿で人々を魅了します。
島の美しさは万葉の昔から歌い詠まれ、多くの人々に愛されています。
上の写真の着色した場所はおのころ島伝承地の候補地です。
岩屋の絵島説は本居宣長、鈴木重胤、大神貫道などが唱えています。
出典:武田信一 著「淡路島の古代・中世研究」(2003)Page7-8
ここでWikipediaによるオノゴロ島の解説を見てみます。
オノゴロ島、又はオノコロ島とは、日本神話や記紀に登場する島。
特にイザナギノミコト・イザナミノミコトによる国生み神話で知られ、神々が
つくり出した最初の島となっている[1]。『古事記』では淤能碁呂島(おのごろじま)、
『日本書紀』では磤馭慮島(おのころじま、初字は「磤」と表記する。オノゴロ島は、
自凝島とも表記され、「自(おの)ずから凝り固まってできた島」の意味である[1]。
淡路市の絵島
絵島は淡路島の岩屋港にある小島。地質学的に貴重な約2000万年前の砂岩層が露出し、
岩肌の縞模様が美しく、『山家集』の歌や『平家物語』などにも詠まれ、古来より
月見の名所として知られる[16]。
近くの岩屋城跡の丘下洞窟には、イザナギノミコトとイザナミノミコト、そして2神の
最初の子である蛭子命(ヒルコノミコト)を祀る「岩樟(いわくす)神社」がある[17]。
日本神話で蛭子命は不具の子であったため、後に葦舟にのせて流されてしまう神であるが、
伝承によるとこの岩屋から蛭児命は流され、えびす宮で有名な西宮神社に辿りつき
神体になったと言われている[17]。
上の写真は現地の説明パネル
そのまま転記しておきます。
絵島
砂岩の小島で岩肌の縞模様が美しい、日本発祥の地
国生み神話の「おのころ島」の異名をもち、多くの歌人が
その美しさを歌に詠んだ。「平家物語」の「月見」の巻に
「福原の新都に移った人々が、海峡を渡り、絵島の月を
愛でながら歌会を催した」と記述されている町の代表的な
景観地である。
上の写真は西行法師が絵島を詠んだ歌碑
千鳥なく 絵島の浦に すむ月を 波にうつして 見るこよいかな 西行(山家集)