ドーリットル空襲(英語:Doolittle Raid)は、太平洋戦争(第二次世界大戦)中の
1942年(昭和17年)4月18日にアメリカ軍がアメリカ陸軍航空軍の爆撃機B-25
(航空母艦より発進)によって実施した日本本土に対する初めての空襲のこと。
名称は爆撃機隊の指揮官であったジミー・ドーリットル中佐に由来する。
初めての空襲が東京府荒川区尾久町に爆弾が投下されたため「尾久初空襲」とも
「東京空襲」とも呼ばれています。
上の写真は空母「ホーネット」より飛び立つB-25爆撃機
空母に帰還しない片道の飛行隊で米国の特攻攻撃と呼ばれています。
出典:2021-6-19放送 関口宏の「もう一度近現代史」
上の写真は日本本土の被害概況。B-25(16機)は超低空飛行で爆撃した。
被爆地は東京、川崎市、横須賀市、名古屋市、神戸市、三重県、栃木県、新潟県
1番機~10番機は東京が中心、11番機~16番機は東京以外の上記の地が爆撃対象地を爆撃
神戸市の爆撃について、空母ホーネットを発進したアメリカ軍の爆撃機ノースアメリカンB25
(ミッチェル)1機が来襲し、市内数カ所に焼夷弾を投下した。
出典:関口宏の「もう一度近現代史」2021-6-19放送
上お2枚の写真はB-25の爆撃経路 中国大陸では落下傘で地上へ脱出した
出典:関口宏の「もう一度近現代史」 2021-6-19放送
16機のうち1機はウラジオストクに着陸
16機、80人の隊員のうち9名が死亡71名は最終的には米国へ帰還した
上の写真は80人の隊員の爆撃後の米国への帰還状況詳細(71名が帰還)
隊長のジミー・ドーリットル中佐はその功績により帰還後少将にまで昇格
出典:2021-6-19放送 関口宏の「もう一度近現代史」
上の写真は日本初の爆撃を受けた翌日の1942年4月19日付の読売新聞紙面
沈着機敏の動作で被害最小限と過少な報道がされています。
出典:2021-6-19放送 関口宏の「もう一度近現代史」
本土爆撃に大きなショックを受けた山本五十六元帥は、制海圏拡大を狙って
ミッドウェー攻略作戦を発動、6隻の空母のうち4隻の空母を失うという大きな敗北
を喫し、戦局の大きな転換につながった。
ドーリットル空襲を題材として作成されたYoutube動画を紹介します。
Doolittle Raiders B-25 Launch Footage (1942)
Doolittle Raid Over Tokyo (Newsreel)
The Doolittle Raid - Animated
Dangerous Missions: One Hour Over Tokyo - The Doolittle Raid (1985) VHS