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戦後初のベストセラー「日米会話手帳」発刊を企画した小川菊松(誠文堂新光社)

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NHKラジオ「きょうは何の日」9月15日で日米会話手帖発行というのを聞いた。

また。2021年8月21日の22時から放送されたNHKテレビBS1スペシャル

「マッカーサーが来るまでに何があったのか? 市民たちが見た終戦直後の15日間」で

終戦の日に誠文堂新光社の社長の小川菊松が「日米会話手帳」発刊のアイデアを思いつき

息子らの反対を押し切り9月15日に初版を発刊したとの話があった。

上記番組での写真を利用して「日米会話手帳と小川菊松」テーマに書いていきます。

上の2枚の写真が小川菊松(誠文堂新光社の社長)

上の写真は大日本印刷の保管庫にある「日米會話手帳、 ANGLO-JAPANESE CONVERSATION MANUAL 1945」の初版本

1987年(昭和62年)に出版史研究者の福島鑄郎が200部限定の復刻版を作成している。

大日本印刷コーポレイトアーカイブ編集長の斎田玲さんは「日部会話手帳は戦後を

代表する印刷物」と評価されました。

ここでWikipediaより日米会話手帳の概要についての解説文を引用紹介します。

『日米会話手帳』(日米會話手帳、英: ANGLO-JAPANESE CONVERSATION MANUAL)は、1945年(昭和20年)9月15日(奥付では10月3日)に日本で発行された英会話用の小冊子である。わずか32ページのごく簡単な内容ではあったが、玉音放送のわずか1か月後に発売され、連合国軍による占領開始直後の日本で総計360万部ないしそれ以上が発行された、戦後初のベストセラー(ミリオンセラー)書籍として知られる。

 

戦後のベストセラーとしては黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」、松下幸之助

「道をひらく」 スペンサー・ジョンソン「チーズはどこに消えた」、

J.K.ローリング「ハリーポッターと賢者の石」などがある。 下の2枚の写真

小川菊松の「日米会話手帳」の発刊を可能にしたのは大日本印刷大崎工場にストック

しておいた莫大な用紙があったため。しかしこの本が発売されると公表でバカ売れしたため

1945年末までに精文館『模範日米会話』、産業図書『実用英語会話』、愛育社の

『ポケット米日会話』『ポケット日米会話』、文化社『わかりやすい日常英語会話』、

文化生活社『日米会話帳』、朝日新聞社『ハンドブック日米会話』などの類似本が出回り、

小川菊松は『日米会話手帳』の使命は終わったと判断し、1945年末までに絶版とした。

わずか2.5ヶ月で360万部の売り上げが如何にすごいか、出演者は現在の「鬼滅の刃」に

匹敵すると語られていました。

 

日米英会話手帳の内容

 

小川菊松が出版しようとした理由

 

読者の声

文芸評論家の紀田順一郎さんの弁(上の3枚の写真)

小川菊松の孫の弁

上の3枚の写真は父から伝え聞く「日米英会話手帳」に関する話を語られる

小川菊松の孫の小川雄一さん

上の写真は東京本郷にある誠文堂新光社の本社ビル

 


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