2021年11月17日より2泊3日で京都府舞鶴市を訪問しました。
シリーズで書いて行きますがその初回として旅行で得た情報を中心に舞鶴市の概要
について記載していきます。
舞鶴市の市域地図
上の写真は旅行中に入手した地図の舞鶴市の境界を赤線で示しました。
また、舞鶴市を大浦地区、東地区(東舞鶴)、中地区(中舞鶴)、西地区(西舞鶴)
加佐地区の5地区に分類したものです。
舞鶴市市域の変遷
明治22年(1889)、市町村制施行によって加佐郡内は舞鶴町と24ケ村の行政組織が誕生。
明治34年(1901)10月1日に鎮守府が開庁すると新舞鶴町、中舞鶴町が誕生しました。
舞鶴市が市制施行されたのは昭和13年(938)8月1日、周辺地域を吸収合併し
舞鶴市と東舞鶴市が誕生しました。
昭和18年(1943)5月27日、軍部の強い要請で東舞鶴市と舞鶴市が合併して舞鶴市が
できました。市役所は現在の中総合会館に置かれ、東西に支所が置かれました。
この時の人口は86,051人。マイツルを図案化した市章が公募により選ばれました。
(下に添付)尚、現在の加佐地区はこの時には合併から外れました。
戦後、加佐地区は加佐町をつくり昭和32年(1957)5月27日の市制記念日に舞鶴市と
合併し、現在の舞鶴市域が確定しました。
舞鶴市の基本情報
面積 :342.13㎢ 総人口: 79,067人 (推計人口、2021年10月1日)
人口密度 :231人/㎢
舞鶴市の名前の由来
Wikipedia(舞鶴市)からの引用です。
もともとこの地域は「田辺」と呼ばれていたが、明治時代に山城(現・京田辺市)や
紀伊(現・和歌山県田辺市)にある同名の地名との重複を避けるため、田辺城の雅称である
「舞鶴城」より「舞鶴」の名称が取られた。田辺城が「舞鶴城」の別名を得たのは、
城型が南北に長く、東の白鳥峠から眺めるとあたかも鶴が舞っている姿のように見える
からであるとされている。
舞鶴の気候
舞鶴市は、日本海側気候の中でも山陰区に属しているため、春は乾燥した南寄りの風が
吹き下ろすフェーン現象が起こりやすく、夏はおおむね高温多湿で晴天の日が続きます。
冬は北西の季節風が吹き、雨や雪の日が多くなります。
年間降水量は約1,900mm
日本遺産の町
2016年に鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~
として日本遺産に選ばれました。
上の写真は鎮守府
鎮守府は戦艦「三笠」の他19隻の艦艇、海兵団、水雷団、海軍工廠、海軍病院などを
持ち、日本海側唯一の軍港として、日露戦争をはじめそれ以降次々に勃発する戦争の
重要な軍事基地になりました。同時に舞鶴は要塞地帯区域に指定され、住民の日常生活
にはさまざまな禁止・制限が課せられました。
今年は海軍舞鶴鎮守府開庁120周年に当たり色々なイベントが行われました
詳細は下記のサイトを参照。
海軍舞鶴鎮守府開庁120年 | 舞鶴市 公式ホームページ (city.maizuru.kyoto.jp)
ユネスコ世界記憶遺産のまち
舞鶴への生還 1945-1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録
第2次世界大戦後旧ソ連に抑留された約60万人の人達の抑留生活と苦難に満ちた引き揚げ
の歴史を伝える資料です。
平成27年(2015)10月10日に舞鶴引揚記念館が所蔵する資料570点が人類が共有すべき
世界的に重要な世界の記憶と認められユネスコ世界記憶遺産に登録されました。
上の写真はユネスコ世界記憶遺産登録証明書 出典:舞鶴引揚記念館の展示
上の写真はユネスコ世界記憶遺産の内容の一部 出典:舞鶴引揚記念館の展示
Youtube 動画による紹介
【舞鶴市】舞鶴の四季~景色やグルメなどを紹介~
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