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兵庫県立考古博物館 春季特別展「弥生集落転生-大中遺跡とその時代-」観覧記 on 2022-4-28

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播磨町にある兵庫県立考古博物館で春季特別展「弥生集落転生-大中遺跡とその時代-」

が開催中です。開催要項は以下の通りです。

 開催日 :2022年4月23日(土)~2022年7月3日(日)
 開催場所 :兵庫県立考古博物館(加古郡播磨町大中1-1-1)
 開催時間 :午前9時30分~午後5時(入場は午後4時30分まで)
 定休日: 月曜日
 アクセス: JR土山駅南出口から「であいのみち」を徒歩15分
      山陽電車播磨町駅から喜瀬川に沿って徒歩25分
 料金: 大人 500円(400円) 大学生 400円(300円) (  )内は団体料金

    高校生以下無料  高齢者(70歳以上)割引あり
 問い合わせ先: 兵庫県立考古博物館
 TEL: 079-437-5589

所在地のGoo地図を添付しておきます。

 

私は4月28日に観覧しました。

上の2枚の写真は特別展の遠景

弥生時代や古代の世界に興味のある方は是非、ご観覧ください。

今回の特別展は大中遺跡が発見された1962年から60周年を記念して企画されました。

憶えの為、展示内容の概略を記しておきます。

展示は下記の4つの章から構成されています

第1章 弥生集落のイメージ  玉津田中遺跡

第2章 生まれ変わる弥生集落 日輪寺遺跡、手末遺跡、美乃利遺跡、西条53号墳

第3章 大中遺跡の盛行 大中遺跡

    トピック;大中遺跡の鉄器事情 大中遺跡、五斗長垣内遺跡、妙楽寺墳墓群

         百間川原尾島遺跡、奥坂遺跡、金谷1号墳、浅後谷南墳墓

第4章 大中遺跡とその時代 大中遺跡、五斗長垣内遺跡、妙楽寺墳墓群、栄根銅鐸、

             久田谷銅鐸、銅鐸破壊実験で砕いた構造銅鐸

    トピック;大中遺跡と鏡の広がり 大中遺跡、長慶寺山1号墳、森北町遺跡

             吉田南遺跡、鳥居遺跡、表山遺跡、玉津田中遺跡、新方遺跡、

             松本遺跡、鈩田遺跡、奥山遺跡

上の写真は会場入り口の大中遺跡の復元予想図を作図したもの(リーフレットの表紙と同じ)

上の2枚の写真は現在の大中遺跡周辺(手前は潰目池)の航空写真

上の写真は別府鉄道(1915年-1984年)が走っていた時代の大中遺跡周辺の地形図

昭和41年(1966)頃に撮影された写真です。

大中遺跡の概要

大中遺跡は兵庫県加古郡播磨町大中に所在する弥生時代後期から末期を中心とする集落跡を

中心とする遺跡です。昭和37年(1962)6月に地元播磨中学の生徒3人(浅原重利、

大辻真一、大辻要二)によって発見されました。

地形としては印南野台地端部で標高は12~14mに位置しています。

第1次の発掘調査は昭和37年(1962)12月25日から昭和38年(1963)1月15日に行われ

1号(SH0102 13.6㎡)と2号(SH0102 39.3㎡)の住居跡や土器、砥石、紡錘車などが

出土しています。以降これまで24次にわたる発掘調査が実施されています。

昭和42年(1967)6月22日には国指定の史跡になっています。

大中遺跡とその周辺の山之上遺跡・潰目池(つぶれめいけ)では旧石器時代から人々の

活動があったことがわかっており、旧石器時代のナイフ形石器や縄文時代の石鏃などが

出土したり採集されたりしています。古墳時代(4世紀から7世紀前半)になるとそれまでの

大集落は姿を消し、大中遺跡での人々の活動は縮小していきます。

竈(かまど)を持つ古墳時代中期の竪穴住居が数棟見つかっており、古墳時代中期や後期

にも人々が暮らしていたことがわかります。さらに後の中世にも、東播系須恵器甕をはじめ

とする土器などが出土し、掘立柱建物跡が見つかっており、その時期も人の活動があった

ことがわかっています。

 

上の写真は展示での大中遺跡の説明パネル

 


 


上の3枚の写真は大中遺跡に関する説明版です。

上の2枚の写真は大中遺跡と大中遺跡公園の環境整備に関する年表

上の写真は播磨町郷土資料館の展示

弥生時代の概説

弥生時代は2300年前から1700年前の約600年間であると覚えていましたが、
最近は佐倉市の国立歴史民俗博物館が2003年頃から提唱されている説で
500年くらい古い年代から弥生時代が始るということも言われています。

県考古博の展示では下記のように早期、前期、中期、後期・終末期の年代を規定。
また縄文晩期を弥生時代に入れるという説もあります。

  早期 2800年前~2600年前 

  前期 2600年前~2350年前

  中期 2350年前~2000年前

  後期・終末期 2000年前~1700年前

弥生時代全般について吉野ケ里歴史公園のサイトが面白いのでリンクさせていただきます。
    弥生ミュージアム (yoshinogari.jp)

 

弥生の名称についてWikipediaによれば
「「弥生」という名称は、1884年(明治17年)に東京府本郷区向ヶ岡弥生町(現在の東京都文京区弥生)
の貝塚で発見された土器が発見地に因み弥生式土器と呼ばれたことに由来」
発見者は有坂しょう蔵、坪井正五郎、白井光太郎

出土した土器は東京大学総合研究所博物館に保管されています。(弥生時代終末期の土器)
東京大学の農学部と工学部の境に「弥生式土器発掘ゆかりの地」の碑がある

 

弥生時代の特色は以下のとおりです。
 -水稲耕作の開始
 -金属器の使用  鉄器:主に武器、加工具  青銅器:主に祭祀に使用
 -朝鮮半島系(大陸系)磨製石器(石斧、石包丁)の使用
 -機織り技術の導入
 -弥生土器の製作

さらに詳細は下記サイトで記載しています。

 兵庫県立考古博物館の2021年春季特別展「弥生時代って知ってる?」観覧記 on 2021-7-4 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

展示内容詳細

第1章 弥生集落のイメージ 

上の2枚の写真は神戸市西区の玉津田中遺跡の遺物の展示

上の3枚の写真は説明パネル

玉津田中遺跡の概要については下記ブログで書いています。

 玉津田中遺跡から弥生時代前期のお墓の跡見つかる - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

第2章 生まれ変わる弥生集落 

上の写真は第2章生まれ変わる弥生集落の展示全景

上の4枚の写真は説明パネル

第3章 大中遺跡の盛行 

    トピック;大中遺跡の鉄器事情 

上の写真は大中遺跡の盛行の展示全景

上の写真は大中遺跡から出土の弥生時代後期後半の土器

上の写真は大中遺跡から出土の弥生時代終末期の土器

上の写真は弥生時代後期の土器(Ⅴ様式)と終末期(庄内式併行)の土器の特徴

上の写真は大中遺跡出土のイイダコ壺と土錘などの漁具の展示

上の写真は大中遺跡から出土の砥石、台石、異形土器、皿型土器、鏡形土製品、鳥形土製品

L字状石杵の展示

 

上の4枚の写真は説明パネル

上の5枚の写真は大中遺跡の鉄器事情の展示

上の写真は大中遺跡と弥生時代の鉄剣の説明パネル

 

第4章 大中遺跡とその時代 

    トピック;大中遺跡と鏡の広がり 

上の写真は第4章 大中遺跡とその時代の展示遠景

上の2枚の写真は五斗長垣内遺跡の弥生土器、砥石、台石、敲石(たたきいし)の展示と説明パネル

上の写真は旧練兵場遺跡の北部九州の展示

上の写真は旧練兵場遺跡の絵画土器の展示

上の写真は旧練兵場遺跡の弥生土器、鉄鏃・板状鉄斧・ヤリガンナ・ヤスの鉄製品、

勾玉・管・ガラス小玉などの玉類、小形仿製鏡・破鏡、銅鏃、銅鐸片の展示

 

上の写真は旧練兵場遺跡の説明パネル

 

上の写真は2本柱の竪穴住居の説明パネル

上の写真は栄根銅鐸(複製品)の展示 原品は東京国立博物館蔵

上の写真は豊岡市の久田谷銅鐸(右)と銅鐸破壊実験で砕いた模造銅鐸(左)

上の写真は銅鐸時代の終焉に関する説明パネル

上の2枚の写真は破鏡と鏡に関する展示

上の2枚の写真は小形仿製鏡に関する展示

 

上の写真は大中遺跡と破鏡・小形仿製鏡の説明パネル

 

大中遺跡をもっと詳しく

上の写真は竪穴住居の移り変わりの説明パネル

上の写真は大中遺跡と山之上遺跡で見つかった竪穴住居跡のパネル

 

中途半端な記事となってしまいましたが出掛ける時間となってしまいましたのでこのへんで

投稿します。


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