本日は昭和59年(1984)に廃線となった別府(べふ)鉄道の別府口について、2022年
4月15日18時からの報道ランナー、「兵動大樹今昔さんぽ」で紹介されていましたので
レビューしたいと思います。
番組では1984年(昭和59年)に撮影された写真をもとにJR加古川駅前からスタート‼️
写真には列車と「さよなら別府鉄道」と書かれています。(下の写真)
上の写真は偶然出会った「代走みつくに」さんに写真を見てもらっている兵動大樹さん
上の写真は駅前の喫茶店で店主の山本賢さんから情報を得る兵動大樹さん
上の2枚の写真は上述の山本賢さんからの情報で多木肥料という会社があったとの情報を得る
別府(べふ)鉄道は日本の近代化に貢献した化学肥料の輸送に使用された鉄道です。
加古川市にある多木製肥所(現在の多木化学)は肥料王と呼ばれた多木久米次郎が
明治18年(1885)に作った会社で、骨紛などから人造肥料を製造販売していました。
山陽鉄道(現在のJR西日本、山陽本線)の開通に伴い鉄道で製品を配送する計画を立案し
大正4年(1915)7月5日、別府軽便鉄道を資本金14万円で設立。大正10年(1921)9月3日
野口線(3.6km)、大正12年(1923)土山線(4.0km)を開通させました。
その後、多木製肥所の構内に0.1km延長されました。昭和59年(1984)まで存続していた。
上の写真は別府鉄道沿線図 昭和21年(1946)頃
別府土山線と別府野口線に分かれています。
上の写真は昭和30年代まであった別府潮干狩海水浴場 別府鉄道の沿線であった
上の3枚の写真は別府鉄道に関する情報
上の3枚の写真も別府鉄道のありし日の情報
最後に山本賢さんから野口駅跡から遊歩道があるとの情報を得て遊歩道に向かう
上の写真は野口駅跡の場所を示したもの
上の写真は旧国鉄高砂線 野口駅跡付近を歩く兵動大樹さん
上の写真は旧別府鉄道跡の遊歩道
上の2枚の写真は遊歩道「松風こみち」と現地説明板
「松風のみち」の終点に別府鉄道(野口線)の気動車「キハ2号」の展示があります。
上の2枚の写真は現地の説明版
上の写真は「旧別府鉄道キハ2号を守る会」によって月1回実施される修復作業の様子
キハ2号のある位置から多木化学に移動するのですがその位置を示したもの(上の写真)
上の写真は多木化学の建物
上の写真は多木化学で応対した取締役上席常務執行役員の多木勝彦さん
上の2枚の写真は多木化学の創業からの歴史史料を集めた資料室を案内する多木勝彦さん
上の写真は多木化学の創業者の多木久米次郎 動物の骨などを化学処理して「骨粉肥料」を製造
上の写真は多木化学が多木肥料だった時代の工場周辺
上の写真は多木化学の工場と別府鉄道を1967年(昭和42年)の地図に描いたもの
上の写真は多木化学の資料室にある多木肥料の看板などの展示
次に創業者の多木久米次郎が迎賓館として建設した多木浜洋館(下の写真)が見学
できるとのことでここに出かける。
上の写真は案内してくれた多木学園(別府幼稚園)の多木寛子さん
多木浜洋館は昭和8年(1933)に完成。平成14年(2002)に国の登録有形文化財に指定。
壁や屋根が銅板で覆われています。
上の3枚の写真は多木浜洋館の内部見学
上の写真は案内者の多木寛子さんから播磨町の郷土資料館の情報を得る
上の写真は多木浜洋館と播磨町の郷土資料館の位置を示した地図。
上の写真は兵動大樹さんが写真を見せて播磨町の郷土資料館の館長の井上珠彦さんに説明
上の写真は写真がどこで撮影されたものかが判る写真が展示されている客車
上の写真がその写真で兵動大樹さん持参の写真が別府口駅であることが判明
列車はキハ101(1984年撮影)
そこで最終地点の別府口駅跡地に向かいます
上の2枚の写真は最終地点で写真を撮った場面と撮った写真
上の写真は昭和59年(1984)の写真と対比したもの 左手の建物(民家)が現存しています。
場所は別府鉄道の別府口駅跡地
上の写真は播磨町の郷土資料館の屋外展示の客車(ハフ5)の内部展示
撮影:2022-4-28に筆者撮影
上述の別府口駅の写真を除く写真を添付しておきます。
上の写真はキハ2と国鉄高砂線キハ06の連絡(1965) 撮影:2022-4-28
上の写真は6号機の牽引する記念列車(1965) 撮影:2022-4-28
上の写真は5号機の機まわり風景 別府港(P兼先、1965) 撮影:2022-4-28
上の写真はDB201とハフ7 別府鉄道土山線(1973) 撮影:2022-4-28
上の写真は別府鉄道の全駅の表示 撮影:2022-4-28
最後に筆者が以前に書いたブログ(下記サイト)関連事項を再掲載して筆を置きます
別府鉄道 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
蒸気機関車
上の写真は2013-6-28 NHKニュース神戸発の18:25頃 播磨町を
紹介した映像から採ったもの。
別府鉄道では5両の蒸気機関車が在籍しており写真の蒸気機関車は5号機
大正14年日立製作所が製造し昭和2年(1927)4月~昭和42年(1967)5月に走っていた
ディーゼル機関車
上の写真も2013-6-28 NHKニュース神戸発の18:25頃 播磨町を
紹介した映像から採ったもの。
写真の機関車はDC1351号で昭和32年12月汽車製造大阪製作所で作られ昭和45年(1970)
2月から昭和59年(1979)1月まで運行されていました。
客車はキハ2、ハフ2・4の3両
上の写真は播磨町郷土資料館の屋外展示の機関車DC302号(昭和28年川崎車輛製)で
昭和41年(1966)9月から昭和59年1月まで運行
客車はハフ5 撮影:2020-12-19
上の2枚の写真は播磨町郷土資料館の屋外展示の説明板からのディーゼル機関車
客車
上の2枚の写真は播磨町郷土資料館に展示の客車ハフ5の外観と車内
上の写真は客車ハフ5の説明文(現地説明板より)
別府鉄道の機関車一覧
上の写真は別府鉄道を走ってきた機関車一覧表
出典:播磨町郷土資料館が作製した資料
沿革
Wikipediaより沿革の年譜を引用させていただきます。
1911年(明治44年)10月18日 - 軽便鉄道免許状下付(加古川-別府間)[6]。
1913年(大正2年)
8月22日 - 軽便鉄道免許失効(指定ノ期限内ニ工事施工認可申請ヲ為ササルタメ)[7]。
11月21日 - 軽便鉄道免許状下付(加古郡野口村-同郡別府村間)[8]。
1915年(大正4年)7月5日 - 別府軽便鉄道株式会社として設立[9][10]。
1920年(大正9年)1月29日 - 鉄道免許状下付(加古郡別府村-同郡阿閇村間)[11]。
1921年(大正10年)9月3日 - 野口線 野口駅 - 別府港駅 - 港口駅間が開業[12]。
1923年(大正12年)3月18日 - 土山線 別府港駅 - 新土山駅(のちの土山駅)間が開業[13]。
1932年(昭和7年)4月8日 - 瓦斯倫動力併用認可[9]。
1946年(昭和21年)4月2日 - 別府鉄道株式会社に社名変更。
1961年(昭和36年) - タクシー部門を設立。
今は歩道として整備されている別府鉄道野口線跡
1984年(昭和59年)2月1日 - 野口線・土山線廃止、鉄道事業から撤退。
2009年(平成21年)11月 - 木下運輸株式会社と多木化学株式会社の合資により「別府タクシー株式会社」設立。
2010年(平成22年)1月 - 別府鉄道のタクシー事業・派遣事業・運行管理事業を別府タクシーへ譲渡。不動産管理事業部門のみ存続。
2012年(平成24年)10月26日 - 取締役会において多木化学の完全子会社化を決議[1]。
2012年(平成24年)11月29日 - 多木化学の完全子会社化の中止[14]。
播磨町郷土資料館の屋外展示の説明板