昔の写真を整理していたら2000年9月24日に訪問した伊藤公資料館と伊藤博文生家の写真が出てきましたので紹介します。
初めてGooブログを開始した2004年より古い時期の写真です。
1.伊藤 博文 公 の生家 (初代 総理大臣)
1841年(天保12年)9月2日にこの萱葺きの家で生まれ6歳までこの家で過ごしたそうです。
現在ある建物は竹下総理時代(1991年=平成3年)のふるさと創生事業の一つとして現在の場所に移築・復元された。
生家の裏手には産湯の井戸もあります。
上の写真は伊藤博文の生家 撮影:2000-9-24
生家のある場所は後述する伊藤公資料館、伊藤公記念館の敷地に隣接してあります。
2.伊藤公資料館
伊藤公資料館は初代総理大臣伊藤博文公の遺品などを展示していると同時に幕末から
明治末までの日本の動きを学習する場として開設されました。
上の写真は伊藤公資料館 撮影:2000-9-24
現在、伊藤公記念公園、伊藤公資料館として整備されているようです。
伊藤公資料館の基本情報
住所:山口県光市大字束荷2250番地1 TEL:0820-48-1623
営業時間: 9:00~17:00(入館は16:30まで)
定休日: 月曜日(ただし祝日の場合は翌日)・年末年始(12月29日~1月3日)
入館料: 個人:260円(高校生以下は無料)/団体(20名以上):200円
※障害者手帳をお持ちの方、およびその付き添いの方は無料
公式サイト:伊藤公資料館ご案内/光市 (hikari.lg.jp)
所在地のGoo地図を添付しておきます。
3.伊藤公記念館(旧伊藤博文邸)
上の写真は伊藤公記念館(今は中に入れない)
伊藤公記念館に関して光市の公式サイトの解説文を引用紹介します。
明治43(1910)年、伊藤公の遠祖・林淡路守通起の没後300年にあたり、林一族及び伊藤家を集めて法要を行うために建てられたものです。
伊藤公自らが基本設計を行い完成を望んでいましたが、明治42(1909)年10月、完成を目前に凶弾に倒れ、故郷に戻ることなくその生涯を終えました。
平成16(2004)年2月、大規模な補修工事を終え、現在は旧伊藤博文邸として公開されています。
4.伊藤博文の兵庫県知事時代
伊藤博文は下記の期間、初代の兵庫県知事でした。
自:慶応4年5月23日 新暦換算では1868年7月12日
至:明治2年4月10日 新暦換算では1869年5月21日
その関係で神戸市には伊藤博文の足跡が数多くあります。
若き日の写真
上の写真は若き日の伊藤俊輔(左)、中島信行(中央)、アーネスト・サトウ(右)
上の写真は写真の説明板
湊川神社(神戸市中央区)に伊藤博文が奉納の石燈籠
上の2枚の写真は公爵 伊藤博文が寄進した燈籠と燈籠の基礎石台の側面に大正4年(1915)
5月に神田兵右衛門によって書かれた説明文
伊藤博文が寄進した石燈籠は明治2年(1869)9月に献納されました。
大蔵少輔従五位兼民部少輔 越智宿禰博文と刻まれています。
湊川神社境内(神戸市中央区)の銅像
上の写真は明治37年(1904)10月22日除幕から翌年9月7日までの1年足らず
湊川神社に設置された伊藤博文公の銅像
この銅像建設の発端は明治35年(1902)伊藤の別荘である神奈川県大磯町「滄浪閣」で
開催された伊藤の還暦祝賀会で桂太郎らが伊藤に銅像を贈呈しようとしたが伊藤が固辞
した為、銅像の改鋳して伊藤と家族の満足を得て明治37年(1904)2月に竣工し、同年
10月22日当初の滄浪閣ではなく湊川神社拝殿前右手に設置除幕された。
銅像製作の請負業者は杉田幸五郎
出典:神戸佳族 Vol.54(2016年5・6)Page13
明治35年10月26日付け 東京朝日新聞
禅昌寺(神戸市須磨区)にある観楓の詩(伊藤博文作)
上の写真が伊藤博文詩碑です。
「聞通老僧移錫処 延文遺跡尚存留
満山紅葉無人稀 風色蕭々古寺秋 」と書かれています。
その他の遺構も含めて下記記事で纏めています。
初代兵庫県知事 伊藤博文の神戸時代の遺構や遺物 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
5.明治、大正期の歴代首相
明治、大正期の歴代首相については下記ブログで纏めています。
明治大正期の歴代首相一覧 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
6.神奈川県大磯町の滄浪閣
また、関連ブログとして神奈川県大磯町にある滄浪閣(旧伊藤博文邸)についても記事を書いていますのでリンク