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姫路 船場城西・城南地区の散策 その9 西国街道碑

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姫路 船場城西・城南地区の散策シリーズの第9回として2022年10月3日に
訪問した西国街道碑の写真を紹介します。
シリーズこれまでの記録

 第1回 境橋碑(世界一短い橋)

 第2回 初井家住宅

 第3回 船場川船繋ぎ岩 
 第4回 炭屋橋(船入川之跡)
 第5回 材木町 歳徳寺
 第6回 千姫像と船場八景③梅雨松夜雨  
 第7回 高瀬舟碑
 第8回 彫刻作品「子供と鵞鳥(ガチョウ)」

上の写真は船場川沿いに建つ西国街道碑 撮影:2022-10-3
姫路城世界文化遺産登録記念 城西地区連合自治会が建立平成9年(1997)5月と記載されています。
西国街道は京都を起点とし九州長崎に繋ぐ主要道で五街道(東海道、中山道、日光道中、甲州道中、奥州道中)に次ぐ主要な街道でした。別名としては近世山陽道などがある。街道には宿場(宿駅)が設置され、人馬の継立を行う問屋場、大名の宿舎としての本陣、脇本陣、武士や一般庶民などのための旅籠等が整備されました。姫路城の備前門より西に向かう西国街道は「備前道」とも呼ばれます。
姫路城下の西国街道のルート上の写真に西国街道のルートを書いてみました。本町通から西二階町出るルートはもう少し東より左に折れるルートが正しいかも知れません。
上の写真は西国街道沿いに掲示の現地案内板初井家(第2回で紹介)沿いの西国街道のルートが示されています。
西国街道沿いの風景上の写真は初井家付近の旧西国街道
昔の風景


旧山陽道「西国街道」の説明板上の写真は大手前通りに設置されている旧山陽道「西国街道」の説明板撮影:2022-10-12
説明板の文面を転記しておきます。この東西の道が旧西国街道で江戸時代には大名行列などが行き交うメインストリートでした。またこの場所には大名などが宿泊する国府寺家の本陣がありました。三代将軍徳川家光公の時代、姫路城主であった本多忠政が中堀を浚渫した泥土を、ここから西の坂元町に敷いたため旅人が難渋し、それから人々はここ先で左に折れ、俵町(現在の西二階町)から備前門に向かったといいます。
絵図などの資料は拡大して添付しておきます。(下の3枚の写真)撮影:2022-10-12



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