10月15日(土)から開幕の神戸市立博物館で特別展「よみがえる川崎美術館」が12月4日に閉幕します。残期間は僅かです。未観覧の方に観覧をお奨め致します。私は11月15日に観覧しました。今回の展示は神戸市立博物館開館40周年記念特別展です。
川崎造船所(現・川崎重工業)や神戸新聞社などを創業した実業家・川崎正蔵のコレクションから、国宝2件を含む貴重な美術品が展示されています。
参照サイト: 【開幕】「よみがえる川崎美術館」神戸市立博物館で12月4日まで 収集家の情熱、在りし日の美術館に思いを馳せる – 美術展ナビ (artexhibition.jp)
特別展「よみがえる川崎美術館」の基本情報会期:2022年10月15日(土)~12月4日(日) 会場:神戸市立博物館(神戸市中央区京町24番地)開館時間:9時30分~17時30分(金曜と土曜は19時30分まで) 休館日:月曜日 観覧料:一般1,600円 大学生800円 高校生以下無料
公式サイト:よみがえる川崎美術館 ―川崎正蔵が守り伝えた美への招待―/2022年10月8日(土)~12月4日(日)/神戸市立博物館 (kawasaki-m2022.jp)
リーフレットより
上の写真はリーフレットの表紙です。狩野孝信が描いた「牧馬図屏風」の部分です。(参考:下の写真)
リーフレットよりその他いくつかの展示作品を紹介します。上の写真は国宝「宮女図」(伝桓野王図) 作者は伝銭舜挙もう一つの国宝展示は「六祖挟担図」
2階に展示されていた円山応挙の襖絵は圧巻であった。実際に川崎美術館を彩っていたとのこと。
七宝焼の制作尾張の七宝工の梶佐太郎を呼び神戸・布引の川崎正蔵本邸の敷地内に工房を設置。ここでは中国・明代の七宝焼を範とした「宝玉七宝」が製作されました。
川崎正蔵について
上の絵は「川崎正蔵翁像」グイード・モリナーリ 明治33年(1900年) 川崎重工業株式会社蔵
上の写真は川崎正蔵の墓碑です。
戒名の徳光院殿豁堂恵然大居士が刻まれています。詳細は下記ブログで纏めています。 川崎正蔵の墓 in 徳光院 on 2018-9-19 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
川崎 正蔵(天保7年7月10日(1836年8月10日)~大正元年(1912年)12月2日)は
薩摩出身の財界人、政治家。神戸川崎財閥の創設者。
天保7年(1936)、鹿児島の呉服商人の子として生まれました。
17歳(嘉永6年=1853)で当時唯一の西洋文明への窓口であった長崎で貿易商の修行を積み、
27歳(文久3年=1863)のとき大阪に移って海運業を始めましたが、このときは、
持船が暴風雨で遭難して積荷とともに海没したため失敗しました。
その後1869(明治2)年に、薩摩藩士が設立した琉球糖を扱う会社に就職、
1873(明治6)年には、大蔵省から委嘱されて琉球糖や琉球航路の調査を行いました。
翌年には日本国郵便蒸汽船会社の副頭取に就任し、琉球航路を開設、砂糖の内地輸送を
成功させました。この間に自分の運命を左右するような海難事故に何度も遭遇した正蔵は、
自らの苦い体験を通して江戸時代の大和型船に比べて船内スペースが広く、速度も速く、
安定性のある西洋型船への信頼を深めると同時に、近代的造船業に強い関心を抱くように
なりました。明治維新直後から、新政府に参画した松方正義、五代友厚ら
薩摩藩出身の政治家と深くかかわり造船業の他、海運、貿易、機械、砂糖など
多角経営の事業で成功すると、明治19年(1886)4月神戸で官営兵庫造船所の
払い下げを受け川崎造船所を設立。造船、汽車などの重機械生産で巨万の富を
得て、神戸川崎重工の基礎を築いた。
上記は川崎重工のHPを参照しました。
川崎商船学校(現 神戸大学海事科学部)の設立川崎正蔵ので遺言で息子の川崎芳太郎に託し実現しました。詳細は下記ブログで纏めています。 川崎商船学校(現 神戸大学海事科学部)からの校門の変遷 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
布引の川崎正蔵翁の銅像上の写真が川崎正蔵翁の銅像と男爵川崎芳太郎の銅像です。
出展:石戸信也著 むかしの六甲・有馬 絵葉書で巡る天上のリゾートPage67
詳細は下記ブログで纏めています。 川崎正蔵翁の銅像 in 徳光院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp) 川崎正蔵翁の銅像 in 徳光院 その2 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
川崎造船所(現・川崎重工業)や神戸新聞社などを創業した実業家・川崎正蔵のコレクションから、国宝2件を含む貴重な美術品が展示されています。
参照サイト: 【開幕】「よみがえる川崎美術館」神戸市立博物館で12月4日まで 収集家の情熱、在りし日の美術館に思いを馳せる – 美術展ナビ (artexhibition.jp)
特別展「よみがえる川崎美術館」の基本情報会期:2022年10月15日(土)~12月4日(日) 会場:神戸市立博物館(神戸市中央区京町24番地)開館時間:9時30分~17時30分(金曜と土曜は19時30分まで) 休館日:月曜日 観覧料:一般1,600円 大学生800円 高校生以下無料
公式サイト:よみがえる川崎美術館 ―川崎正蔵が守り伝えた美への招待―/2022年10月8日(土)~12月4日(日)/神戸市立博物館 (kawasaki-m2022.jp)
リーフレットより
上の写真はリーフレットの表紙です。狩野孝信が描いた「牧馬図屏風」の部分です。(参考:下の写真)
リーフレットよりその他いくつかの展示作品を紹介します。上の写真は国宝「宮女図」(伝桓野王図) 作者は伝銭舜挙もう一つの国宝展示は「六祖挟担図」
2階に展示されていた円山応挙の襖絵は圧巻であった。実際に川崎美術館を彩っていたとのこと。
七宝焼の制作尾張の七宝工の梶佐太郎を呼び神戸・布引の川崎正蔵本邸の敷地内に工房を設置。ここでは中国・明代の七宝焼を範とした「宝玉七宝」が製作されました。
川崎正蔵について
上の絵は「川崎正蔵翁像」グイード・モリナーリ 明治33年(1900年) 川崎重工業株式会社蔵
上の写真は川崎正蔵の墓碑です。
戒名の徳光院殿豁堂恵然大居士が刻まれています。詳細は下記ブログで纏めています。 川崎正蔵の墓 in 徳光院 on 2018-9-19 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
川崎 正蔵(天保7年7月10日(1836年8月10日)~大正元年(1912年)12月2日)は
薩摩出身の財界人、政治家。神戸川崎財閥の創設者。
天保7年(1936)、鹿児島の呉服商人の子として生まれました。
17歳(嘉永6年=1853)で当時唯一の西洋文明への窓口であった長崎で貿易商の修行を積み、
27歳(文久3年=1863)のとき大阪に移って海運業を始めましたが、このときは、
持船が暴風雨で遭難して積荷とともに海没したため失敗しました。
その後1869(明治2)年に、薩摩藩士が設立した琉球糖を扱う会社に就職、
1873(明治6)年には、大蔵省から委嘱されて琉球糖や琉球航路の調査を行いました。
翌年には日本国郵便蒸汽船会社の副頭取に就任し、琉球航路を開設、砂糖の内地輸送を
成功させました。この間に自分の運命を左右するような海難事故に何度も遭遇した正蔵は、
自らの苦い体験を通して江戸時代の大和型船に比べて船内スペースが広く、速度も速く、
安定性のある西洋型船への信頼を深めると同時に、近代的造船業に強い関心を抱くように
なりました。明治維新直後から、新政府に参画した松方正義、五代友厚ら
薩摩藩出身の政治家と深くかかわり造船業の他、海運、貿易、機械、砂糖など
多角経営の事業で成功すると、明治19年(1886)4月神戸で官営兵庫造船所の
払い下げを受け川崎造船所を設立。造船、汽車などの重機械生産で巨万の富を
得て、神戸川崎重工の基礎を築いた。
上記は川崎重工のHPを参照しました。
川崎商船学校(現 神戸大学海事科学部)の設立川崎正蔵ので遺言で息子の川崎芳太郎に託し実現しました。詳細は下記ブログで纏めています。 川崎商船学校(現 神戸大学海事科学部)からの校門の変遷 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
布引の川崎正蔵翁の銅像上の写真が川崎正蔵翁の銅像と男爵川崎芳太郎の銅像です。
出展:石戸信也著 むかしの六甲・有馬 絵葉書で巡る天上のリゾートPage67
詳細は下記ブログで纏めています。 川崎正蔵翁の銅像 in 徳光院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp) 川崎正蔵翁の銅像 in 徳光院 その2 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)