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姫路市大手前通りに設置の西国街道説明板 on 2022-10-12

2022年10月12日、姫路市大手前通りに設置の西国街道説明板の写真を撮っていますので紹介します。
西国街道は京都を起点とし九州長崎に繋ぐ主要道で五街道(東海道、中山道、
日光道中、甲州道中、奥州道中)に次ぐ主要な街道でした。
別名としては近世山陽道、旧山陽道などがある。
街道には宿場(宿駅)が設置され、人馬の継立を行う問屋場、大名の宿舎と
しての本陣、脇本陣、武士や一般庶民などのための旅籠等が整備されました。
姫路城の備前門より西に向かう西国街道は「備前道」とも呼ばれます。


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上の写真が姫路市大手前通りに設置の「旧山陽道 西国街道説明板」の全体です。小さくて読み難いので拡大したものをお示しします。
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上の写真は説明文を拡大したものです。説明板の文面を転記しておきます。
この東西の道が旧西国街道で江戸時代には大名行列などが行き交うメイン
ストリートでした。またこの場所には大名などが宿泊する国府寺家の本陣が
ありました。
三代将軍徳川家光公の時代、姫路城主であった本多忠政が中堀を浚渫した泥土
を、ここから西の坂元町に敷いたため旅人が難渋し、それから人々はここ先で
左に折れ、俵町(現在の西二階町)から備前門に向かったといいます。

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上の写真は説明板の設置位置を示したもの(赤丸)
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上の写真は江戸後期(1749~1816年)姫路侍屋敷図の上に設置場所を示したもの(赤丸)
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上の写真は長州 毛利家が参勤交代用に作成した中国行程記で描かれた姫路城下行程記の作成年代は明和元年(1764)とされてきたが、異説として天明8年(1788)~文化13年(1816)という見解もあります。



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