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Channel: CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)
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神戸ゆかりの有名人 その14  扇千景さん

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本日は神戸ゆかりの有名人シリーズの第14回で2023年3月9日、食道胃接合部がん で亡くなった元参院議員で女優の扇千景(おうぎ・ちかげ、本名・林寛子、旧姓・木村)さんについて神戸との関係を中心に紹介していきます。まずは、ご逝去に心よりご冥福を祈ります。告別式は3月27日正午から東京・増上寺光摂殿。喪主は長男、中村鴈治郎(本名=林智太郎)氏。
本名の寛子から愛称は「かんこ」とも呼ばれていたそうです。
 扇千景さんは昭和8年(1933)5月10日 兵庫県神戸市須磨区に  銀行員の父・木村松太郎、母・みさゑの三女として生まれる。兵庫県立神戸高等学校卒業後、大学進学を望んでいたが、父親の強い希望により大学進学をあきらめる。友人が勝手に願書を送付し、受験して合格した宝塚音楽学校に、父親への反発もあり、宝塚音楽学校に進学する。

上の2枚の写真は生前の扇千景さん出典:3月13日 19:00からのNHK総合テレビ News7より   MHKプラスで視聴
以下、Wikipediaからの引用昭和29年(1954)、宝塚歌劇団に41期生として入団。入団時の成績は4番。星組公演「春の踊り」で初舞台。花組に配属後、映画専科へと異動。宝塚在団中に宝塚映画「快傑鷹 第一篇 蛟竜風雲の巻」で映画デビュー。以降もテレビドラマや映画に出演し、1956年には「夜霧の女」で春日野八千代の相手役として盲目の少女ジェニイを演じ、新人演劇賞を受賞した。
昭和32年(1957)5月31日付で歌舞伎役者の2代目中村扇雀(後の4代目坂田藤十郎)との結婚のため退団。1958年に結婚し、しばらく芸能活動から遠ざかった。昭和34年(1959〉2月6日,長男四代目 中村 鴈治郎、昭和35年(1960)12月19日、次男の三代目 中村 扇雀を出産した。知人の薦めにより日本教育テレビ(現テレビ朝日)制作の単発テレビドラマ『君はいま何を見つめている』(1959年10月29日放送)に出演する。本作品で第14回文部省芸術祭個人奨励賞を受賞し、再デビューする。
以下の経歴については省略します。
神戸での思い出として神戸新聞NEXTが記事を書かれています。(下記サイト) 扇千景さん(87) 戦争への危機感から政界へ|ひょうご戦後75年|連載・特集|神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp)  上記は神戸新聞2020年9月7日、戦後75年ラストメッセージの記事と同じ。その中からいくつかのエピソードを紹介します。扇千景さんは神戸が大好きで。扇千景の扇は神戸港の別名『扇港』から取ったとのこと。
年取ったら神戸に住みたいなって思っていたとのこと。1945年8月15日、小学校5年生の時、神戸市長田区から鳥取県岩美町の旅館に疎開していた。扇千景さんは幼少期の思いでを次のように語られています。「小学校に入る前から虚弱体質で、4年生まで養護学級。みんなが体操していても一緒にさせてもらえなかった。それが集団疎開で丈夫になったの。川で洗濯したり、冬は竹を半分に割ったのをスキーにして学校に行ったり。精神的にも強くなった。神戸高校のテニス部に100人入って、最後まで残ったのは4人だけ。私は県の16強までいったと思う。宝塚を受験した時の写真は、顔が真っ黒でした」終戦から2か月後、疎開先から神戸市に戻った。「神戸駅に親が迎えにきた。父親がその時、神戸銀行の灘支店の支店長をしていて。その2階に連れていかれて『ここが今住んでいるところだ』と言われたそうです。扇千景さんの2人の姉についてのエピソードも書かれています。
  シリーズ過去の記事第1回 滝川クリステルさん第2回 プロゴルファー古市忠夫さん第3回 政井マヤさん第4回 佐川満男さん第5回 瀬戸カトリーヌさん第6回 内橋克人さん第7回 鳳蘭さん第8回 香川真司さん第9回 桂あやめさん第10回 安田悠馬さん第11回 古江彩佳さん第12回 玉井陸斗さん第13回 田辺聖子さん

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