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2023年3月末に閉鎖される日本真珠会館に行ってきました on 2023-3-27

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2023年3月27日、 真珠の街・神戸を象徴する建物で3月末で閉鎖された日本真珠会館に行ってきましたので写真紹介します。

上の2枚の写真は2023年3月末で閉鎖された日本真珠会館の建物外観
およそ70年前に真珠の流通拠点として神戸市に建てられた「日本真珠会館」が老朽化に伴って閉館するのを前に、3月26日、建物の中を巡るツアーが行われました。
この様子については3月26日(日)18:45のNHK総合テレビ関西のニュースで紹介されました。下記サイトに詳しく書かれています。 神戸市の「日本真珠会館」 閉館を前に建物内巡るツアー|NHK 兵庫県のニュース 

上の2枚の写真は上述の番組からの写真(地下室の石炭ボイラー、機械室)です。上の写真は当日は会館を設計した光安義光さんの長男で建築家の義博さんが参加者を案内されました。
上の写真は見学ツアーの座学が行われた部屋で往時は真珠の取り引きが行われていたり真珠の品質鑑定が行われていた部屋だった。自然光を多く取り入れるため、大きな窓を設置して真珠の色がよりよく見えるよう工夫されているそうです。


上の3枚の写真は当日撮った建物1階(外部と内部)

上の写真は日本真珠会館 建築ツアーの案内 サンTVが2月の番組で「日本真珠会館」についてYoutube動画で紹介されていましたのでGooで共有させていただきました。日本真珠会館 3月末に閉鎖へ 真珠の街・神戸の象徴 サンTV



上の2枚の写真は今回企画された講演やトークショーの内容
上の写真は3月25日から26日に行われた日本真珠会館の70年 記録と記憶の案内



上の2枚の写真は「日本真珠会館の70年 記録と記憶」展示の遠景上の写真は展示の中で特に気になった設計者の光安義光さんの作業机と椅子
真珠の流通拠点として、昭和27年(1952)に建てられた「日本真珠会館」は、神戸を代表する「モダニズム建築」として知られ、国の登録有形文化財に登録されています。上の写真は登録有形文化財(第28-0191号)の登録証平成17年(2005)7月12日に登録
日本真珠会館の基本情報住所:神戸市中央区東町122 構造:鉄筋コンクリート造規模:地上4階、地下1階建 延床面積:」1,779㎡  建築面積373㎡敷地面積:735㎡ 最高高さ:19.3m 地盤面下:4.7m着工:昭和26年(1951)12月30日竣工:昭和27年(1952)11月24日総工事費:約8,800万円設計:光安義光  施工:竹中工務店所有者:日本真珠輸出組合日本真珠輸出組合は日本真珠会館に入る所有者で日本真珠会館の管理もされています。公式サイト:Pearl Details | 日本真珠輸出組合: トップページ (japan-pearl.com) 
日本真珠会館のテナント上の写真は玄関横のパネルでかっては多くのテナントが入っていました。
パールミュージアムの展示今迄の何度も展示を観ていますがブログ作成をしていませんでしたので今回作成しました。尚、閉鎖後は神戸ファッション美術館が展示を引き継ぐとのこと。
上の写真はパールツリーの展示と説明パネル上の写真は神戸復興の鐘 「ベルラ・ヴィ-タ」の展示阪神・淡路大震災から10年後の2005年パールシティ神戸協議会が神戸のさらなる復興
を祈念して制作されたものだそうです。

ベルラ・ヴィ-タはイタリア語で「真珠の人生」と訳されるそうです。

上の写真は木製からくり人形。パールブリッジと月の雫。
上の写真は真珠の評価基準の展示
日本で発明された真珠養殖100年の歩みとともに、神戸と真珠の歴史、真珠の種類やアコヤ真珠ができるまでを模型や実物で展示されています。神戸パールミュージアムの展示は7つのパートで構成されています。(1)はじめに

(2)養殖真珠の誕生

(3)真珠の街・神戸


(4)日本真珠会館(5)時代を彩る真珠


(6)真珠ができるまで


あこや真珠ができるまでの8工程がパネルで展示されています。






神戸では真珠の加工が盛んでした。現在も神戸市中央区北野町にパール通りと言う名称が残っています。
真珠産業の発展に貢献した人物として誰もが知っている御木本幸吉の他に藤堂安家、大月菊男がパネルで説明されていました。


(7)自然が育む輝き


知られざる建築家 光安義光当日、「知られざる建築家 光安義光」(青幻舎)という本が売られていましたので購入。この本は地域の建築に生涯をささげた光安義光さんが1999年に亡くなった後、生前を知る有志が、彼の生涯と業績をしのび刊行したものです。上の写真は本の表紙
本の中から光安義光さんの略歴を紹介します。
大正8年(1919)1月8日 京城(現在の韓国・ソウル)に生まれる昭和15年(1940)京城高工建築家卒業、東京工業大学建築学科入学昭和17年(1942)9月繰り上げ卒業と同時に兵役(ビルマ)に服す昭和22年(1947)夏、復員昭和22-23年(1947-1948)佐藤建築事務所、平田洋裁女学校講師昭和23-46年(1948-1971)兵庫県建築部昭和33-53年(1958-1978)神戸大学非常勤講師昭和46-54年(1971-1979)明石工業高専建築家主任教授昭和47-49年(1972-1974)大阪大学・明石短期大学(現、神戸文化短大)非常勤講師昭和54年-平成11年(1979-1999)光安建築設計事務所昭和58年-平成元年(1983-1989)明石工業高専非常勤講師昭和61年-平成3年(1986-1991)園田学院女子短大非常勤講師昭和61年-平成11年(1986-1999)神戸文化短期大学非常勤講師平成11年(1999)4月11日 80歳で没
主要設計作品 県立北条高校講堂(1951) 日本真珠会館  (1952) 神戸商大1号館  (1953) 県立明石高等学校(1956) 県立西宮病院  (1961) 兵庫県庁舎1号館(1963) 国民宿舎しんぐ荘(1963) 県民会館    (1968) 小野市市民会館 (1974) 神戸学院大学独立図書館(1975) 堀光美術館   (1981)
この本と県庁舎について2022年12月6日の神戸新聞「日々小論」で解説紹介されていますのでリンク
 光安さんと県庁舎 論説副委員長・長沼隆之 | 日々小論 | 神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp)  
1964年に完成した県庁舎第1号館の設計は光安義光氏の集大成とも言える。「県庁舎は災害の救急支援センター、復興センターとなるべき建物である」との信念と綿密な耐震実験に支えられた建物は、阪神・淡路の激震にも耐えた。事後の調査では、その耐震力は1981年に導入された新耐震基準を上回るものだったという。しかし、詳細な耐震診断を実施した結果県庁舎第1号館、県庁舎第2号館と議場棟でともに倒壊の恐れがあるという結論で2025年以降に解体することになった。斎藤県知事は2025年度から1号館と2号館の機能の移転を始め、2つの建物で働く職員の6割をリモートワークにすることも表明されています。
サンテレビが斎藤知事の記者会見の様子をYoutube 動画にアップされていますのでGooで共有。 兵庫県庁舎1号館と2号館を2025年度以降に撤去へ 斎藤知事が発表  
神戸新聞は次のように報道しています。 兵庫県庁舎「三つ子」並ぶ風景、一変へ 解体1、2号館の跡地は緑地化 知事「新庁舎の必要性は今後検討」 | 総合 | 神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp) 

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