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「東海道中膝栗毛」の作者(十返舎一九)と版元の村田屋次郎兵衛

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「東海道中膝栗毛」は江戸時代後期の戯作者、十返舎一九の代表作で、享和2年(1802)から文化6年(1809)にかけて出版(初編から八編)された滑稽本です。主人公である弥次郎兵衛と喜多八の二人が伊勢詣でを思い立ち、数々の失敗や滑稽を繰り返しながら、東海道を江戸から京、大坂旅する様子を、狂言や小咄を交えながら、当時の口語で描き出したものです。
標題の内容について2023年6月20日22時~22時45分、NHKEテレビ先人たちの底力 知恵泉「江戸の観光大作戦! ”書を持って旅に出よう”」で紹介されていました。忘れないうちにブログを作成して記憶に留めておこうと筆を取りました。
村田屋次郎兵衛(生没年不明)はあまり売れていなかった十返舎一九が絵と文の両方を書ける作家であることから安く本を出版できると考え東海道中膝栗毛の執筆を依頼。世に出して間もなくヒット作となり続編まで出版することとなった。
番組より写真を交えて要点を記載しておきます。上の写真は東海道中膝栗毛の六、七、八巻の表紙と十返舎一九像上の写真は滑稽本「東海道中膝栗毛」の中味上の写真は「東海道中膝栗毛」の版元の村田屋次郎兵衛「東海道中膝栗毛」は単なる道中記ではなく、笑える旅の実用書として旅ブームを牽引した。ヒットの裏には名プロデューサーとしての版元の村田屋次郎兵衛の存在が大きい。怠け者の十返舎一九をなだめすかし、同時に市場のニーズも見据えていた。上の写真は村田屋次郎兵衛について分析評価した筑波大学教授の綿抜豊昭さん綿抜さんには著書「膝栗毛」はなぜ愛されたか 糞味噌な江戸人たち講談社選書メチエ 2004がある。


上の写真は名プロデューサー、村田屋次郎兵衛が作者「十返舎一九」に示した制作方針。
十返舎一九(1765-1831)は寛政6年(1794)(30歳)、江戸へ戻り、通油町(現在の中央区日本橋大伝馬町)の版元・蔦屋重三郎(1750-1797)方に寄食して、用紙の加工や挿絵描きなどを手伝った。寛政7年(1795)、蔦屋に勧められて黄表紙『心学時計草』ほか3種の黄表紙を出版し、翌年からは毎年10種以上の黄表紙を刊行した。一九は文才にくわえ絵心があり、文章だけでなく挿絵も自分で描き、版下も書くという、版元に便利な作者であった。しかし、ヒット作はなく、原稿料はほとんどを酒に費やすというみだらな生活をしていました。
以上の文章はWikipedia(十返舎一九)より引用(一部加筆)
上の写真は「東海道中膝栗毛」で名物を紹介している部分静岡の「あべかわ餅」、小田原の「ういろう」等が掲載されています。「東海道中膝栗毛」では好色の場面も多くあります。(上の写真)

上の写真はNHKが製作された蔦屋重三郎のお店の店頭看板に「絵双紙問屋 蔦屋重三郎」と書かれています。さらに、当時のベストセラーの看板も掲示されています。このような光景が2025年の大河ドラマ(第64作)『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』でも観られると思います。蔦屋重三郎と大河ドラマについては下記ブログで書いています。 2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」のモデル 蔦屋重三郎 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp) 
上の写真は村田屋次郎兵衛が東海道中膝栗毛の続編を発刊するに当たり十返舎一九を説得するのに世間で受け入れられてと言いくるめている場面。

上の2枚の写真は十返舎一九の筆が進むように宴会で特別配合の薬(お酒)を振舞う村田屋次郎兵衛
また村田屋次郎兵衛は十返舎一九の好物の蕎麦も振舞った。版元もめでたい、おいらもめでたいと記述しています。

その結果「東海道中膝栗毛」の続編も好評でヒット作となった。上の場面は地本問屋「村田屋」の店頭の光景。「東海道中膝栗毛」は最終的に正・続編合わせて全43冊まで続きます。
尚、上述番組では「東海道中膝栗毛」の他の実用的な旅の指南書として温泉番付「諸国温泉効能鑑」についても紹介されていました。
最後に詳説日本史図録 山川出版 (2008)Page187から「江戸時代の文芸の系統」の図を添付して筆を置きます。


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