唐招提寺では、毎年10月21日から3日間、釈迦念仏会が行われています。
2023年7月18日(火)NHK BSプレミアム 6:30~7:15「国宝へようこそ 第11集 唐招提寺」で上記釈迦念仏会が紹介されていましたの番組からの写真を利用して纏めてみました。
本論に入る前に唐招提寺の基本情報と所在地のGoo地図を示しておきます。唐招提寺の基本情報
住所:奈良市五条町13−46 TEL:0742-33-7900
宗派:律宗 御本尊:廬舎那仏 開基:鑑真 759年創建
公式サイト:唐招提寺とは | 唐招提寺 (toshodaiji.jp)
所在地のGoo地図を添付しておきます。
上述の「釈迦念仏会」の日だけ公開される国宝「金亀舎利塔」には鑑真が唐から携えた3000粒の釈迦の遺骨(仏舎利)が納められている。金亀舎利塔の前で3日3晩にわたり法華経の功徳を説き、「南無釈迦牟尼仏」と釈迦の名号が唱え続けられる。唐招提寺にとってもっとも重要な法会である。
この釈迦念仏会は、建仁2年(1202)8月に、戒律復興運動の基幹として解脱上人貞慶が創始したもので、上人晩年の大切な事績の一つである。鑑真没後の唐招提寺は衰退が続き、特に平安遷都以降はひどい衰退ぶりであった。この状態を憂いた解脱上人貞慶が奈良仏教の復興、原点回帰で奈良仏教界に呼びかけた。創始から800年以上経つ現在まで継続しています。
貞慶による釈迦念仏会の創始に関する詳細は下記サイトが詳しい 解脱上人貞慶の唐招提寺釈迦念仏会の創始について|藤田依里 (kaijyusenji.jp)
上の写真は唐招提寺釈迦念仏会で公開される金亀舎利塔
上の写真は堂内の御本尊「金亀舎利塔」を前にした釈迦念仏会の法要
上の3枚の写真は夜間、堂内、仏舎利塔の前で行われる釈迦念仏会の様子法華経の功徳を説き、「南無釈迦牟尼仏」と釈迦の名号が唱え続けられる。
鑑真和上と唐招提寺について過去にブログを作成していますのでリンクしておきます。 鑑真大和上と唐招提寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
最後に鑑真和上、日本での活動について記載して筆を置きます。
天平勝宝5年12月26日(754年1月23日)大宰府に到着、鑑真は大宰府観世音寺に
隣接する戒壇院で初の授戒を行う。
天平勝宝6年2月4日に平城京に到着して聖武上皇以下の歓待を受け、
孝謙天皇の勅により戒壇の設立と授戒について全面的に一任され、東大寺に住する
こととなった。
4月、鑑真は東大寺大仏殿に戒壇を築き、上皇から僧尼まで400名に菩薩戒を授けた
これが日本の登壇授戒の嚆矢である。併せて、常設の東大寺戒壇院が建立された。
天平宝字2年(758年)淳仁天皇の勅により大和上に任じられ、政治にとらわれる
労苦から解放するため僧綱の任が解かれ、自由に戒律を伝えられる配慮がなされた。
鑑真大和上70歳
天平宝字3年(759年)新田部親王の旧邸宅跡が与えられ唐招提寺を創建し、
戒壇を設置した。鑑真は戒律の他、彫刻や薬草の造詣も深く、
日本にこれらの知識も伝えた。
また、悲田院を作り貧民救済にも積極的に取り組んだ。鑑真大和上71歳
天平宝字5年(761年)には日本の東西で登壇授戒が可能となるよう、
大宰府観世音寺および下野国薬師寺に戒壇が設置され、戒律制度が急速に
整備されていった。 鑑真大和上73歳
天平宝字7年(763年)5月6日唐招提寺で死去(遷化)した。享年76歳
2023年7月18日(火)NHK BSプレミアム 6:30~7:15「国宝へようこそ 第11集 唐招提寺」で上記釈迦念仏会が紹介されていましたの番組からの写真を利用して纏めてみました。
本論に入る前に唐招提寺の基本情報と所在地のGoo地図を示しておきます。唐招提寺の基本情報
住所:奈良市五条町13−46 TEL:0742-33-7900
宗派:律宗 御本尊:廬舎那仏 開基:鑑真 759年創建
公式サイト:唐招提寺とは | 唐招提寺 (toshodaiji.jp)
所在地のGoo地図を添付しておきます。
上述の「釈迦念仏会」の日だけ公開される国宝「金亀舎利塔」には鑑真が唐から携えた3000粒の釈迦の遺骨(仏舎利)が納められている。金亀舎利塔の前で3日3晩にわたり法華経の功徳を説き、「南無釈迦牟尼仏」と釈迦の名号が唱え続けられる。唐招提寺にとってもっとも重要な法会である。
この釈迦念仏会は、建仁2年(1202)8月に、戒律復興運動の基幹として解脱上人貞慶が創始したもので、上人晩年の大切な事績の一つである。鑑真没後の唐招提寺は衰退が続き、特に平安遷都以降はひどい衰退ぶりであった。この状態を憂いた解脱上人貞慶が奈良仏教の復興、原点回帰で奈良仏教界に呼びかけた。創始から800年以上経つ現在まで継続しています。
貞慶による釈迦念仏会の創始に関する詳細は下記サイトが詳しい 解脱上人貞慶の唐招提寺釈迦念仏会の創始について|藤田依里 (kaijyusenji.jp)
上の写真は唐招提寺釈迦念仏会で公開される金亀舎利塔
上の写真は堂内の御本尊「金亀舎利塔」を前にした釈迦念仏会の法要
上の3枚の写真は夜間、堂内、仏舎利塔の前で行われる釈迦念仏会の様子法華経の功徳を説き、「南無釈迦牟尼仏」と釈迦の名号が唱え続けられる。
鑑真和上と唐招提寺について過去にブログを作成していますのでリンクしておきます。 鑑真大和上と唐招提寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
最後に鑑真和上、日本での活動について記載して筆を置きます。
天平勝宝5年12月26日(754年1月23日)大宰府に到着、鑑真は大宰府観世音寺に
隣接する戒壇院で初の授戒を行う。
天平勝宝6年2月4日に平城京に到着して聖武上皇以下の歓待を受け、
孝謙天皇の勅により戒壇の設立と授戒について全面的に一任され、東大寺に住する
こととなった。
4月、鑑真は東大寺大仏殿に戒壇を築き、上皇から僧尼まで400名に菩薩戒を授けた
これが日本の登壇授戒の嚆矢である。併せて、常設の東大寺戒壇院が建立された。
天平宝字2年(758年)淳仁天皇の勅により大和上に任じられ、政治にとらわれる
労苦から解放するため僧綱の任が解かれ、自由に戒律を伝えられる配慮がなされた。
鑑真大和上70歳
天平宝字3年(759年)新田部親王の旧邸宅跡が与えられ唐招提寺を創建し、
戒壇を設置した。鑑真は戒律の他、彫刻や薬草の造詣も深く、
日本にこれらの知識も伝えた。
また、悲田院を作り貧民救済にも積極的に取り組んだ。鑑真大和上71歳
天平宝字5年(761年)には日本の東西で登壇授戒が可能となるよう、
大宰府観世音寺および下野国薬師寺に戒壇が設置され、戒律制度が急速に
整備されていった。 鑑真大和上73歳
天平宝字7年(763年)5月6日唐招提寺で死去(遷化)した。享年76歳