「TSUTAYA」の名前の由来本の販売やDVD、CDのレンタルで全国に店舗がある「TSUTAYA]の名前は江戸時代に写楽など有名絵師を世に送り出した り出版者として活躍した蔦屋重三郎(1750-1797)と関係があると言います。「TSUTAYA]の創業者・増田宗昭氏の祖父が営んでいた事業の屋号が「蔦屋」であったこと にも由来しています。蔦屋重三郎は現在で言う「本」や「DVD」にあたるともいえる、当時の文化や娯楽であった「写本」や「浮世絵」、「滑稽本」、「黄表紙」などを広く江戸の世に広めました。このように現代で多くの人に映画や音楽や本などを届ける役目を担いたいという気持ちを込めて「TSUTAYA]の名前をつけました。
上の写真は多くの人でにぎわう蔦屋重三郎の本屋「耕書堂」の店先。浮世絵師の葛飾北斎が描いたものです。出典:「画本東都遊(えほんあずまあそび)」1802年 国立国会図書館蔵
上の写真は蔦屋重三郎と思われる人物(左奥の帖台に座っている人物)
江戸時代出版の中心は京都から江戸へ5代将軍、徳川綱吉が治めた元禄期(1688-1704年)の頃には本屋の数が400軒ほどで、その内およそ9割が京都であったと言われています。その頃の本屋は出版の事業も兼ねており版元という呼び名で言われる事もある大坂でも力のある本屋が活躍していました。しかし、江戸時代の中期以降は江戸の本屋がしだいに勢力を強め、出版文化の中心は江戸に移っていきました。江戸の本屋の勢いをつけたのは須原屋茂兵衛だと言われています。初代茂兵衛は万治元年(1658)江戸日本橋通一丁目に店を構えていた。現存する最古の刊本は貞享元年(1684)刊の木下義俊著『武用弁略』である。初代から9代にわたり継承され店舗を増やしていき、江戸最大の本屋(版元)として繁盛します。
上の写真は多くの人でにぎわう蔦屋重三郎の本屋「耕書堂」の店先。浮世絵師の葛飾北斎が描いたものです。出典:「画本東都遊(えほんあずまあそび)」1802年 国立国会図書館蔵
上の写真は蔦屋重三郎と思われる人物(左奥の帖台に座っている人物)
江戸時代出版の中心は京都から江戸へ5代将軍、徳川綱吉が治めた元禄期(1688-1704年)の頃には本屋の数が400軒ほどで、その内およそ9割が京都であったと言われています。その頃の本屋は出版の事業も兼ねており版元という呼び名で言われる事もある大坂でも力のある本屋が活躍していました。しかし、江戸時代の中期以降は江戸の本屋がしだいに勢力を強め、出版文化の中心は江戸に移っていきました。江戸の本屋の勢いをつけたのは須原屋茂兵衛だと言われています。初代茂兵衛は万治元年(1658)江戸日本橋通一丁目に店を構えていた。現存する最古の刊本は貞享元年(1684)刊の木下義俊著『武用弁略』である。初代から9代にわたり継承され店舗を増やしていき、江戸最大の本屋(版元)として繁盛します。