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朝ドラ らんまん 第24週「ツチトリモチ」に登場した歴史上の人物(池長孟も登場)

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NHK朝ドラ「らんまん」は9月29日で終了するとの知らせを聞きました。今週の「らんまん」第24週「ツチトリモチ」には歴史上の人物が多く登場しました。
本ブログではドラマで登場する歴史上の人物の実像に焦点を当てます。
まず、第24週「ツチトリモチ」の概要について紹介したYoutube動画にリンクしておきます。
【らんまん】9月11日からの物語はどうなる?【朝ドラ】神木隆之介 浜辺美波 志尊淳 佐久間由衣
第116話(9月11日放送) 日本中の植物を紹介できる図鑑の製作 が進み、完成間近。しかし万太郎 (神木隆之介)は自信を無くしていた。 虎鉄(濱田龍臣)は図鑑はきった何百年も残り続けて愛されるものだと励まします。 一方、寿恵子(浜辺美波)の店には相島圭一(森岡龍)と 小林一三(海宝直人)がやってきて・・・相島と小林は鉄道事業についての談義を始める。その頃の渋谷は鉄道が通っていない寂れた場所であった。
 小林一三(海宝直人)・・実在人物(モデル)も小林一三  阪急電鉄の創始者で経営と事業の神さま と言われた。上の写真は宝塚「花の道」に設置の小林一三翁の銅像  撮影:2019-2-14 小林一三氏については下記ブログで書いています。 小林一三と阪急電鉄&宝塚 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)  相島圭一(森岡龍)・・・実在人物(モデル)は五島慶太以下の文章はWikipediaよりの引用。五島 慶太(ごとう けいた 旧姓・小林、1882年〈明治15年〉4月18日 - 1959年〈昭和34年〉8月14日)は、日本の実業家、政治家、官僚。東京急行電鉄の事実上の創業者。正三位勲一等。長野県青木村名誉村民
関連事項として東急の歴史についてYoutube動画をGoode共有させていただきます。東急グループのあゆみ
第117話(9月12日放送)酵母菌の研究をしている藤丸(前原瑞樹)は、その成果を竹雄(志尊淳)と綾(佐久間由衣)に説明する。農科大学の教授となっていた波多野(前原滉) も同席している。万太郎の元には南方熊楠から手紙が届く。寿恵子(浜辺美波)が待合茶屋を、竹雄と綾が屋台を始めて5年が過ぎての出来事である。波多野南方熊楠の手紙には新種かどうかを検定して欲しい標本が同封されていた。虎鉄(濱田龍臣)は苦手意識を持つが万太郎(神木隆之介)は会ってみたいと喜ぶ。徳永教授(田中哲司)からは南方熊楠に深入りするなと命じられる。
南方熊楠・・・実在人物(モデル)も南方熊楠  南方熊楠(1867〜1941年)は実在した熊野在住の生物学者・民俗学者です。 生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダ等の研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集も行なっていた。
そうした調査に基づいて生態学(ecology)を早くから日本に導入した。 牧野富太郎博士とは手紙のやりとりはあったのですが、実際に2人が会うことはありませんでした。  大正13年(1924)、2人が出会うチャンスがあった。牧野が熊楠の住んでいる 和歌山県田辺市を植物採集のため訪れた折、同行者は、熊楠の家へ案内する と言ったが牧野は断った。  高知新聞の記者、高知新聞にゅーすけ さんが面白い動画を作成されていますのでGooで共有。南方熊楠と牧野富太郎の本当の関係は? 今週の朝ドラ「らんまん」を高知新聞記者が語る「ちっくと言わせて!」第27回
藤丸(前原瑞樹)・・・実在人物(モデル)は田中延次郎以下の文章はWikipediaよりの引用。田中 延次郎 (たなか のぶじろう、旧姓 市川、1864年4月21日(元治元年3月16日) -
1905年(明治38年)6月21日)は、日本の菌類学者である。日本における最初の近代菌類学書、『日本菌類図説』を執筆した。植物病理学の分野でも桑樹萎縮病の対策に貢献した【らんまん】田中延次郎の生涯 菌類研究で活躍するも悲劇の最期を迎える
波多野(前原滉)・・・実在人物(モデル)は池野成一郎以下の文章はWikipediaよりの引用。池野 成一郎(いけの せいいちろう、1866年6月25日(慶応2年5月13日) - 1943年(昭和18年)10月4日)は日本の植物学者。日本の植物形態学の先駆者で平瀬作五郎のイチョウの精子の発見に続いてソテツの精子を発見した。【らんまん】3人の植物学者たち 壮絶な人生をドラマでは描くのか?史実から検証&考察 【朝ドラ】神木隆之介 前原瑞樹 前原滉 亀田佳明
徳永教授(田中哲司)・・・実在人物(モデル)は松村任三以下の文章はWikipediaよりの引用。松村 任三(まつむら じんぞう、1856年2月14日〔安政3年1月9日〕- 1928年5月4日)は、日本の植物学者。【らんまん】松村任三の生涯 矢田部の後を受け植物学教室二代目トップに
第118話(9月13日放送)南方熊楠から万太郎(神木隆之介)に送られてきた標本の中には、120年に一度しか咲かないハチクの花もあった。翌年、日露戦争がが勃発。渋谷は電車の開通で交通の要所として発展を遂げ寿恵子(浜辺美波)の店は、益々賑わうようになります。番組の中で渋谷から代々木にかけての建設された代々木練兵場と玉川電気鉄道の開通と東京鉄道が渋谷に乗り入れた話が絵図で挿入されていました(下の写真)代々木練兵場は明治42年(1909)7月、陸軍練兵場と衛戍監獄(陸軍刑務所)が設置された。この陸軍省用地の範囲は現在の代々木公園よりも広く、南側は現在の渋谷区神南にあるNHK放送センターから、同・宇田川町の渋谷区役所・渋谷公会堂周辺一帯までに及んでいた。玉川電気鉄道の渋谷駅は明治40年(1907)に開業

相島圭一(森岡龍)から神戸の資産家永守を接待するという話があった。その日は永守自身は都合が悪く代理人を寄こすという・・・・ある日、植物学教室にも南方熊楠から手紙が届く。万太郎は徳永(田中哲司)から熊楠に深入りするなと釘を刺される。しかし、野宮朔太郎(亀田佳明)から神社の森の悲惨な現状を伝える手紙が届き、居てもたっても居られなくなる。
野宮朔太郎(亀田佳明)・・・実在人物(モデル)は田中長嶺 以下の文章はコトバンクよりの引用。田中長嶺 (ながね)生年:嘉永2(1849)  没年:大正11.6.30(1922)
明治大正時代の椎茸栽培,製炭事業の指導者。越後国三島郡才津村(長岡市)生まれ。幼名重次郎。絵画を学ぶべく江戸に出たが途中で帰農。農業のかたわら植物採集,写生,菌学を研究し,明治23(1890)年,わが国初の菌類学書『日本菌類図説』(共著)を,その後さらに人工接種による椎茸栽培法について研究,『香蕈培養図説』(1892)などを著した。また製炭法の改善を考究し,25年『十余三産業絵詞』を著した。


第119話(9月14日放送)
寿恵子(浜辺美波)の店には逸馬(宮野真守)と永守徹(中川大志)がやってくる。資産家の青年・永守徹が万太郎を支援 モデルは京大法学部学生の池長孟。 牧野富太郎の標本を買い取り借金を解消する。当時、池長は京都大学の学生だった。永守徹(中川大志)・・・実在人物(モデル)池長孟上の写真は大正5年(1916)12月18日大阪朝日新聞の記事大正5年(1916)牧野富太郎54歳、貧乏で絶体絶命になりそれが新聞記事に掲載。
当時、東京大学の講師であった牧野富太郎の月給が35円で高額の書籍などの購入で
借金がかさみ収集した植物標本約10万点を海外に売却することを計画。これを知った
東京朝日新聞が記事を掲載、その翌日に大阪朝日新聞が同様の記事を掲載した。
神戸の南蛮美術の収集家として著名な池長孟(はじめ)が援助を申し出る。池長孟は当時25歳であった。
  池長孟(1891-1955)は牧野博士の10万点の植物標本を3万円で買い取り
  植物研究所を会下山「正元館」に設立することが決まった。
  津村順天堂(現ツムラ)の協力を得て「植物研究雑誌」を創刊

神戸市兵庫区の植物研究所は大正7年(1918)に完成。牧野富太郎は56歳、
池長孟は27歳、開所式が会下山で行われた。牧野が所長、池長が正元館主に就任

上の2枚の写真は植物研究所及び開所式の記念写真。
開所式は大正7年(1918)10月31日から11月3日に行われています。
植物研究所は昭和16年(1941)まで続いています。上述の植物研究所跡については下記ブログで書いています。 神戸市兵庫区会下山小公園にある牧野富太郎の 植物学研究所跡  訪問記 on 2023-4-12 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp) 
上の写真は植物研究所の2階の植物標本(大正10年(1921)撮影)これらの標本は蔵書と共に昭和16年(1941)に牧野富太郎のもとに返却されています。現在、標本は首都大学東京牧野標本館に、研究所の図書等は高知県立牧野植物園に保管されています。出典:白岩卓巳「牧野富太郎と神戸」(2008)口絵
大正15年(1926)牧野富太郎64歳、現在の東京都練馬区東大泉に自宅を建てています。この自宅はスエコが渋谷の待合茶屋で稼いだお金をつぎ込んで建てられました自宅は昭和33年(1958)東京都練馬区立牧野記念庭園として開園しています。最近のニュースで富太郎の書斎が復元されました。詳しくは下記ブログ。 NHK朝ドラ「らんまん」のモデル牧野富太郎博士の書斎復元 3/23NHKニュース番組を視聴して - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)  
上の写真は牧野富太郎と池長孟(昭和16年に撮影 牧野79歳、池長50歳)出典:白岩卓巳「牧野富太郎と神戸」(2008)口絵

池長孟と牧野富太郎との関係について面白いYoutube動画がありましたのでGooで共有。【らんまん】牧野富太郎の救世主池長孟!なぜ莫大な資金援助をしたのかその人物像に迫る!

第120話(9月15日放送)

上の写真は寿恵子(浜辺美波)の待合茶屋で永守徹(中川大志)が万太郎に対して植物図鑑の刊行、植物サンプルの買い取りなど全面的に支援すると表明する場面。立ち合い者として永守の代理人・早川逸馬(宮野真守)も同席。
早川逸馬(宮野真守)・・・実在人物(モデル)は植木枝盛 以下の文章はWikipediaよりの引用。植木 枝盛(1857年2月14日〈安政4年1月20日〉 - 1892年〈明治25年〉1月23日)は、日本の思想家、政治家。自由民権運動家。牧野富太郎との関係は土佐の人という共通点はあるもののドラマであったように万太郎が自由民権運動の集会に参加し警察に捕らわれるような史実は無く脚本家の長田育恵 さんによる創作か? 
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最後に「ツチトリモチ」の写真を添付して筆を置きます。2023年9月15日(金)のNHK朝ドラ「らんまん」放送より

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