2023年10月13日(金)、姫路市的形の湊神社の秋祭りを観覧しましたので写真紹介します。当日の滞在時間は12時半から約1時間であったのでごく一部を観ただけで帰宅しました。秋祭りの紹介に入る前、最初に湊神社の基本情報を記載しておきます。
姫路市的形、湊神社の基本情報住所:姫路市的形町的形1249 TEL:079-254-0613 御祭神:素盞嗚尊(すさのおのみこと) 、大歳大神創建:奈良時代(710-784)、仲哀天皇の皇后、神功皇后(321-389)が創建との伝承あり
由緒:神功皇后(321-389)が新羅遠征(363年)の途中、湊神社の現在地より250m東南の小島(当時は海中の島)に立てた的に向かって「射儀の式」を行ったので、村名を的形、神社名を湊と称するようになったと云う。その由緒により小島に八幡神社を建立、神功皇后・14代仲哀天皇・15代応神天皇を祀った。現在の八幡神社は陸の小山となり、当社の御旅所になっている。平安時代の「播磨国神名帳」には「湊明神」、室町から江戸時代には「大歳明神」と呼ばれた。元和5年(1619)9月29日、板倉勝重が黒印6石6斗を寄付。明和4年(1767)に社殿を修復。明治になって「湊神社」に改称された。明治7年(1874)郷社に列せられる。平成22年(2010)に大修理(本殿、幣殿、拝殿)
上の写真は山陽電車の的形駅から湊神社までの地図を示しました。地図は的形駅に掲示されていたものです。湊神社の御旅所である八幡神社の位置も判ります。
次に最初に参拝した拝殿の様子を写真紹介します。
上の写真は拝殿上の2枚の写真は拝殿内に準備してあった神事渡御行列に使用される道具
上の写真は神事渡御行列に使用される道具のリスト
境内の詳しい紹介は下記ブログで纏めています。 姫路市的形 湊神社訪問記 on 2023-5-12 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
お待たせしました、これから湊神社の秋祭り(宵宮)の紹介です。湊神社秋祭りポスター
上の2枚の写真は的形 湊神社秋祭りのポスター 山陽電車飾磨駅に掲示撮影:2023-10-8
児嶋子供会の屋台
上の写真は12:30に宮入した児嶋の子供会の屋台どうしても人物が写りこんでしまいます。許諾をとっていませんがお許しください。上の写真は児嶋子供屋台の運行経路
児嶋町屋台上の写真は2023年10月13日(土)12:45に宮入した児嶋の屋台上の写真は児嶋屋台の10月13日(宵宮)の運行経路上の写真は児嶋屋台の10月14日(本宮)の運行経路上の写真は湊神社やっさ紹介(児嶋町屋台)のポスター地元では屋台のことをやっさと呼んでいます。本ブログでは屋台で統一。
Youtube動画でも紹介します。2023年10月13日(宵宮) 姫路市的形 湊神社の秋祭り 児嶋の屋台の宮入
令和5年各屋台の運行予定時間
上の写真は各屋台(児嶋、地、北山河、南山河、大鳥、苅屋、福泊の7屋台)運行予定時間
地の屋台上の写真は地の屋台。以下の文は湊神社のリーフレットよりの引用現屋台は平成19年に新調。龍紋と重厚な棟の勇姿が特徴。露盤に彫刻された5匹の鯉「五鯉躍」は読みが御利益と同じで縁起を表す。その中でも正面の鯉は今まさに天に駆上がる姿で、天に登った鯉は、屋台の天頂に輝く擬宝珠の龍になる「登龍門」を表し、擬宝珠と露盤で一対の故事になる屋台は播州一である。
北山河の屋台
上の3枚の写真は北山河の屋台。以下の文は湊神社のリーフレットよりの引用現屋台は昭和58年に新調。流水が渦巻く菊水紋と擬宝珠のシャチホコが特徴。露盤、狭間とも明治時代から継承された歴史ある逸品で、露盤の場面は「牛若丸の鞍馬山修行」と「平維茂紅葉狩」。狭間は「神功皇后」にまつわる題材等が彫刻されている。令和5年の国恩祭で伊達綱を新調。白と金から藍と金に変更された。
南山河の屋台
上の2枚の写真は南山河の屋台
上の写真は湊神社やっさ紹介(南山河町屋台)のポスター
大鳥の屋台
上の3枚の写真は大鳥の屋台
上の写真は湊神社やっさ紹介(大鳥町屋台)のポスター
苅屋の屋台
上の2枚の写真は苅屋の屋台
上の写真は湊神社やっさ紹介(苅屋町屋台)のポスター
福泊の屋台当日の13:30頃の時点で近くに到着していなかったので湊神社のリーフレットの写真と資料をそのまま引用添付させていただきます。
各屋台の地元位置
上の写真は各屋台の地元位置(赤線で囲った場所です)出典:湊神社リーフレット
姫路市的形、湊神社の基本情報住所:姫路市的形町的形1249 TEL:079-254-0613 御祭神:素盞嗚尊(すさのおのみこと) 、大歳大神創建:奈良時代(710-784)、仲哀天皇の皇后、神功皇后(321-389)が創建との伝承あり
由緒:神功皇后(321-389)が新羅遠征(363年)の途中、湊神社の現在地より250m東南の小島(当時は海中の島)に立てた的に向かって「射儀の式」を行ったので、村名を的形、神社名を湊と称するようになったと云う。その由緒により小島に八幡神社を建立、神功皇后・14代仲哀天皇・15代応神天皇を祀った。現在の八幡神社は陸の小山となり、当社の御旅所になっている。平安時代の「播磨国神名帳」には「湊明神」、室町から江戸時代には「大歳明神」と呼ばれた。元和5年(1619)9月29日、板倉勝重が黒印6石6斗を寄付。明和4年(1767)に社殿を修復。明治になって「湊神社」に改称された。明治7年(1874)郷社に列せられる。平成22年(2010)に大修理(本殿、幣殿、拝殿)
上の写真は山陽電車の的形駅から湊神社までの地図を示しました。地図は的形駅に掲示されていたものです。湊神社の御旅所である八幡神社の位置も判ります。
次に最初に参拝した拝殿の様子を写真紹介します。
上の写真は拝殿上の2枚の写真は拝殿内に準備してあった神事渡御行列に使用される道具
上の写真は神事渡御行列に使用される道具のリスト
境内の詳しい紹介は下記ブログで纏めています。 姫路市的形 湊神社訪問記 on 2023-5-12 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
お待たせしました、これから湊神社の秋祭り(宵宮)の紹介です。湊神社秋祭りポスター
上の2枚の写真は的形 湊神社秋祭りのポスター 山陽電車飾磨駅に掲示撮影:2023-10-8
児嶋子供会の屋台
上の写真は12:30に宮入した児嶋の子供会の屋台どうしても人物が写りこんでしまいます。許諾をとっていませんがお許しください。上の写真は児嶋子供屋台の運行経路
児嶋町屋台上の写真は2023年10月13日(土)12:45に宮入した児嶋の屋台上の写真は児嶋屋台の10月13日(宵宮)の運行経路上の写真は児嶋屋台の10月14日(本宮)の運行経路上の写真は湊神社やっさ紹介(児嶋町屋台)のポスター地元では屋台のことをやっさと呼んでいます。本ブログでは屋台で統一。
Youtube動画でも紹介します。2023年10月13日(宵宮) 姫路市的形 湊神社の秋祭り 児嶋の屋台の宮入
令和5年各屋台の運行予定時間
上の写真は各屋台(児嶋、地、北山河、南山河、大鳥、苅屋、福泊の7屋台)運行予定時間
地の屋台上の写真は地の屋台。以下の文は湊神社のリーフレットよりの引用現屋台は平成19年に新調。龍紋と重厚な棟の勇姿が特徴。露盤に彫刻された5匹の鯉「五鯉躍」は読みが御利益と同じで縁起を表す。その中でも正面の鯉は今まさに天に駆上がる姿で、天に登った鯉は、屋台の天頂に輝く擬宝珠の龍になる「登龍門」を表し、擬宝珠と露盤で一対の故事になる屋台は播州一である。
北山河の屋台
上の3枚の写真は北山河の屋台。以下の文は湊神社のリーフレットよりの引用現屋台は昭和58年に新調。流水が渦巻く菊水紋と擬宝珠のシャチホコが特徴。露盤、狭間とも明治時代から継承された歴史ある逸品で、露盤の場面は「牛若丸の鞍馬山修行」と「平維茂紅葉狩」。狭間は「神功皇后」にまつわる題材等が彫刻されている。令和5年の国恩祭で伊達綱を新調。白と金から藍と金に変更された。
南山河の屋台
上の2枚の写真は南山河の屋台
上の写真は湊神社やっさ紹介(南山河町屋台)のポスター
大鳥の屋台
上の3枚の写真は大鳥の屋台
上の写真は湊神社やっさ紹介(大鳥町屋台)のポスター
苅屋の屋台
上の2枚の写真は苅屋の屋台
上の写真は湊神社やっさ紹介(苅屋町屋台)のポスター
福泊の屋台当日の13:30頃の時点で近くに到着していなかったので湊神社のリーフレットの写真と資料をそのまま引用添付させていただきます。
各屋台の地元位置
上の写真は各屋台の地元位置(赤線で囲った場所です)出典:湊神社リーフレット