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於美阿志(おみあし)神社/檜隈寺跡 訪問記 on 2011-5-16 と発掘調査概要  

於美阿志神社(檜隈寺)は 渡来人の東漢氏(やまとのあやうじ)の祖先と
される阿知使主(あちのおみ)を祀っている神社です。
2011年5月26日に訪問した時の写真と奈良文化財研究所が発掘
調査している成果の概要をまとめてみました。

於美阿志神社(檜隈寺)の基本情報
住所:奈良県高市郡明日香村檜前594  
祭神:阿智使主神夫妻二柱
檜隈寺の建設時期:686年より前


飛鳥村飛鳥保存財団作成の説明板より概要説明を引用させていただきます
「檜隈は百済から渡来した阿智使主(あちのおみ)が移住したと伝えられ、
於美阿志神社(おみあしじんじゃ)はその阿智使主を祭神とする。
檜隈寺跡は、その神社の境内にあり塔、講堂跡と推定される建物跡を
のこす。日本書紀天武天皇朱鳥元年の条に檜隈寺の寺名がみえ*1、
寺跡からは7世紀末の瓦が出土する。現在塔跡にある十三重石塔は上層の
一部を欠いているが重要文化財に指定されている。」
*1 日本書紀朱鳥元年(686)8月  檜隈寺・軽寺・大窪寺に、各百戸を封す。三十年を限る。

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上の写真は拝殿。

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上の写真は鳥居をくぐって右手の第28代宣化天皇(467-539)の檜隈廬入野宮
(ひのくまいおいりのみや)跡の碑が建っています。
第28代宣化天皇在位は宣化天皇元年12月18日(536年1月26日) -
宣化天皇4年2月10日(539年3月15日)の約3年余で539年3月15日に
72歳で檜隈廬入野宮で崩御されています。

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境内の末社。

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上の写真は鳥居の外側より拝殿を臨むところで撮ったものです。

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上の写真は境内の末社。

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上の2枚の写真は拝殿の南西道路の脇に建つ地蔵堂と中の石像です。

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境内の摂社。

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上の写真は於美阿志神社の本殿である。

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上の3枚の写真は十三重石塔(重文)。檜隈寺では塔の建っていた位置に
平安時代建造されたものである。

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上の写真のように十三重石塔は石搭婆と表現されています。

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上の写真は現地の説明板。

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上の写真は現地説明板にあった説明板から撮りトレースしたものです。

檜隈寺は5世紀後半に来日した新来漢人(いまひのあやひと)をはじめとする
渡来人達をまとめていた倭漢氏(やまとのあやうじ)が7世紀後半に創建した寺である。
倭漢氏の渡来について、日本書紀は、応神天皇20年秋、阿知使主が17県の党類を
率いて来帰したとしるされています。

渡来人の倭漢氏=東漢氏についてWikipediaより解説を引用させていただきます。
「東漢(やまとのあや)氏は、『記・紀』の応神天皇の条に渡来したと記されている
阿智使主(あちのおみ)を氏祖とする帰化系氏族集団である。
『古事記』には、4世紀末の応神天皇の時代に、倭からの要請もあり、
新羅や百済から技術者・文人が多く渡来し、その中に「秦造の祖、漢直の祖、
が渡来した」と。『日本書紀』応神天皇20年9月の条に、
「倭漢直の祖の阿智使主、其の子の都加使主は、己の党類十七県の人々を
率いて来帰した。」と伝える。」

次に檜隈寺周辺の発掘調査の成果の概要について記します

1979年~1988年に行われた6回の調査で上記の現地説明図の金堂、講堂
西門、回廊など珍しい伽藍配置が確認されました

2009年の飛鳥藤原第155次調査で、主要伽藍の北東、丘陵東斜面の裾部分
で南北棟の掘立柱建物と東西塀が確認されました。これらの建物と塀は、柱筋が
檜隈寺の伽藍主軸と同じ方向を向いていることから寺の主軸伽藍と同じ時期
(7世紀後半)に造営された可能性が高い。

2010年飛鳥藤原第159次調査で掘立柱建物6棟、総柱建物1棟が確認
焼成遺構や鞴羽口など工房の存在を示す遺構が確認された

2015年の調査で新たに瓦窯跡が確認されています。



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