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Channel: CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)
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神戸港 第一波止場の信号灯(灯竿)はいつ設置されいつまで存在したか

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いきなりですが、下の写真は明治中期の第一波止場の様子です瀬戸内海写真帖 神戸市立博物館所蔵
出典:田井玲子さん著書「外国人居留地と神戸」(2013)Page471月13日、14日に行われた神戸海軍操練所跡 発掘調査の現地説明会の資料としても添付されていたもので右側に信号灯が写っています。信号灯は灯竿 (とうろん)とも呼ばれています。灯竿は航路標識の一つで桟橋・防波堤などの端に設置し夜間に港の位置を示す小型の灯台である。Aはコーベ・クラブBは122番 デラカンプ商会Cは東運上所(神戸税関)Dは12番 イリス商会本ブログでは上の写真の右手に写っている第一波止場の信号灯(灯竿)がいつ設置されいつまで存在したかをテーマに調査しましたので紹介します。
尚、第一波止場は資料により「外人居留地東波止場」「東運上所前波止場」「東防波堤」などと表記されていますが同義語です。
参照文献 1)神戸開港百年史 建設編 神戸開港百年史編集委員会 編 神戸市 1970.4
 2)平成29年(2017)神戸港の貿易額 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)      上記ブログで神戸港のあゆみ(変遷)を簡略化して纏めています。 
 3)00 (kobe.lg.jp)  神戸市が神戸港開港150年を記念して上記資料を作成されています 
いつ設置されたか?第一波止場の信号灯(灯竿)はいつ設置されたか? 結論:明治10年(1877)8月15日
「和田岬燈台に続いて、明治10年8月15日、外人居留地東波止場の先端に、光達距離24㎞の白色竿燈が設けられた」出典:文献1)Page68~69 (1)和田岬公園
(参考)和田岬燈台は日本の灯台の父と呼ばれるイギリス人リチャード・ヘンリー・ブラントンの
指導で、明治4年(1871)和田岬砲台の横に作られました。当初は木製で8角形の灯台
でしたが明治17年(1984)現在の鉄骨造の灯台に建替えられました。 出典:須磨海岸の赤灯台(旧和田岬灯台) の現地説明板
いつまで存在したか?第一波止場の信号灯(灯竿)はいつ迄存在したか?
 結論:はっきりとした年月日までは判明しなかったが    神戸港第1期修築工事着工した明治40年(1907)9月16日から    大正11年(1922)5月16日の完成の間に廃止されたと思われる    新しい信号所が大正10年(1921)に新設されていますので    大正10年(1921)から大正11年(1922)に廃止の可能性が高い
上の写真は大正12年(1923)頃の神戸港(神戸港第1期修築工事完了後)
出典:開港100年記念誌 Page23より 2)
神戸港第1期修築工事の内容は下記のとおりです 出典:3) ・第1~第4突堤の建設 ・上屋18棟 ・防波堤 1,149m ・鉄道 20,378m
信号所の新設
大正10年(1921)に第1突堤(現在の第4突堤)先端に神戸港信号所が設置信号所は昭和12年(1937)6月15日に新港第5突堤に移設、神戸海運局の所管を経て昭和22年(1947)海上保安庁の設置により、神戸海上保安部所管となる。用途廃止となり平成4年(1992)1月27日高浜岸壁南東角に移設保存上の写真は神戸ハーバーランドにある神戸港旧信号所(旧新港第五突堤信号所) 撮影:2015-8-24 詳細は下記ブログで書いています。 神戸港旧信号所(旧新港第五突堤信号所) in ハーバーランド on 2015-8-24 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
神戸海軍操練所跡発掘調査の現地説明会 海軍操練所跡発掘調査 現場説明会参加録 on 2024-1-13 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp) 


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