本日は駒ヶ林町の散策シリーズの第7回として西出高松前池線との交差点近くに
鎮座する駒竹稲荷神社をお送りします。
これまでの記事
第1回 駒林神社の復興された大鳥居といかなごくぎ煮発祥の地の碑
第2回 駒林神社
第3回 海泉寺
第4回 駒ヶ林蛭子神社
第5回 平忠度の腕塚
第6回 雑魚寝堂跡の旧神戸市立駒ヶ林保育所
駒竹稲荷神社の基本情報
住所:神戸市長田区駒ヶ林町1丁目9-16 TEL:078-611-4035(駒林神社)
御祭神:倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)
創建:不詳だが19世紀初頭の文化・文政時代(1804~1829)と言われています
![]()
![]()
上の2枚の写真は市道高松線側から撮った駒竹稲荷神社の遠景
駒竹神社はかって徳本上人六字妙号石がある駒一地蔵尊8六地蔵さん)の横に
ありましたが都市計画により現在の場所に昭和39年(1964)10月に移設されました。
空襲の時には石でできたキツネの像がケーンケーンと鳴いて危険を知らせたと
言われています。
半世紀ほど前までは毎年冬の時期には氏子たちが列をなし、太鼓などの鳴り物を
鳴らしながら高取山の本宮まで参拝する「野施行(のせぎょう)」と呼ばれる行事が
行われていたそうです。上記の移転とともに消滅したようです。
毎年2月の初午祭の時には油揚げと赤飯のおにぎりが供えられるなど、
わずかながら野施行の風習の名残りは残されているようです
![]()
上の写真は拝殿
![]()
上の写真は拝殿前に吊るされた駒竹大明神と書かれた提灯
![]()
上の写真は境内から市道高松線に向かって撮ったもの
境内は狭いがよく管理されています。
![]()
上の写真は境内の手水施設
![]()
![]()
![]()
上の3枚の写真は境内の奉納者の名前が入った玉垣
神社の御利益は商売繁盛や芸の向上なのか玉垣の名前に芸妓さんらしき
ものが多いのでは?
鎮座する駒竹稲荷神社をお送りします。
これまでの記事
第1回 駒林神社の復興された大鳥居といかなごくぎ煮発祥の地の碑
第2回 駒林神社
第3回 海泉寺
第4回 駒ヶ林蛭子神社
第5回 平忠度の腕塚
第6回 雑魚寝堂跡の旧神戸市立駒ヶ林保育所
駒竹稲荷神社の基本情報
住所:神戸市長田区駒ヶ林町1丁目9-16 TEL:078-611-4035(駒林神社)
御祭神:倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)
創建:不詳だが19世紀初頭の文化・文政時代(1804~1829)と言われています


上の2枚の写真は市道高松線側から撮った駒竹稲荷神社の遠景
駒竹神社はかって徳本上人六字妙号石がある駒一地蔵尊8六地蔵さん)の横に
ありましたが都市計画により現在の場所に昭和39年(1964)10月に移設されました。
空襲の時には石でできたキツネの像がケーンケーンと鳴いて危険を知らせたと
言われています。
半世紀ほど前までは毎年冬の時期には氏子たちが列をなし、太鼓などの鳴り物を
鳴らしながら高取山の本宮まで参拝する「野施行(のせぎょう)」と呼ばれる行事が
行われていたそうです。上記の移転とともに消滅したようです。
毎年2月の初午祭の時には油揚げと赤飯のおにぎりが供えられるなど、
わずかながら野施行の風習の名残りは残されているようです

上の写真は拝殿

上の写真は拝殿前に吊るされた駒竹大明神と書かれた提灯

上の写真は境内から市道高松線に向かって撮ったもの
境内は狭いがよく管理されています。

上の写真は境内の手水施設



上の3枚の写真は境内の奉納者の名前が入った玉垣
神社の御利益は商売繁盛や芸の向上なのか玉垣の名前に芸妓さんらしき
ものが多いのでは?