2017年10月10日から10月12日まで比叡山延暦寺と坂本を訪問しました。
本日はその第12回として2017年10月11日に訪問した延暦寺(西塔地区)
を写真紹介します。
当日(2017-10-11)は宿泊する延暦寺会館の送迎バスでJR大津京駅を9時40分頃出発
約30分で延暦寺会館に到着。こちらを起点にまず比叡山延暦寺諸堂順拝券700円と
比叡山内1日フリー乗車券800円を購入し延暦寺横川地区に出かけた。
横川地区の拝観終了後再びバスで峰通まで移動し峰通レストランで昼食後、西塔(さいとう)
地区まで再びバスで移動、特別公開で「秘仏本尊釈迦如来像」が特別御開帳されている
釈迦堂ほか諸堂を拝観してきました。
本シリーズの過去11回の記事一覧
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その1 日吉東照宮
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その2 ケーブル坂本駅
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その3 求法寺走井元三大師堂
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その4 日吉大社
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その5 穴太衆積み石垣
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その6 慈眼堂(恵日院)
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その7 滋賀院門跡
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その8 三井寺(園城寺)
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その9 琵琶湖第一疎水のトンネルと大津閘門
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その10 大津城跡
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その11 延暦寺(横川地区)
上の写真は上述の「秘仏本尊釈迦如来像」の特別御開帳と内陣の特別拝観が行われている
釈迦堂(転法輪堂)=重要文化財(明治33年(1900)4月7日に指定)
西塔の中心で貞和3年(1347)建築の園城寺の弥勒堂を秀吉により延暦寺に移設
されたもので延暦寺では最も古い建造物である。移築時期は文禄4年(1595)
相応和尚(831-918)の一千百年御遠忌にあたり、三十三年ぶりに一般公開となる御本尊の
木像釈迦如来立像は内陣正面の須弥壇に奉安されています。
堂内では釈迦如来を守護するように東西南北に四天王像が立ち並びます。
また、内陣には四つのお社(おやしろ)(文殊菩薩・元三大師・山王七社・八所明神)
があり、それらのお扉も初めて開かれることとなりました。
上の写真は上述の特別公開の釈迦堂内陣の様子です。
出典:JR西日本歴史たび2017秋10月~12月 比叡山延暦寺より
上の写真は現地の掲示で山王七社と元三大師の社が写っています。
上の写真は西塔地区の諸堂の位置を示したものです。
出典:比叡山 延暦寺のリーフレット
上の写真は西塔地区の諸堂の現地説明板
にない堂
常行堂と法華堂という同じ形の建物がふたつ並んで、渡り廊下でつながっています。
力持ちの弁慶がこの渡り廊下をてんびん棒にして、このお堂をかついだという伝説から
「弁慶のにない堂」と呼ばれています。
上の写真は常行堂 文禄4年(1595)の建築で昭和30年(1955)に重要文化財に指定
上の写真は法華堂 文禄4年(1595)の建築で昭和30年(1955)に重要文化財に指定
上の写真はにない堂の遠景
法華堂側が滋賀県、常行堂側が京都府との解説がありました。
出典:2014年1月10日 BS日テレ ぶらぶら美術・博物館 新春2時間SP!
上の写真は常行堂の御本尊の阿弥陀如来像
上の3枚の写真は現地説明板
円戒国師寿塔
上の写真は円戒国師寿塔と現地説明板
寿塔とは、生前あらかじめ造ったお墓です。この塔は円戒国師・慈摂大師真盛上人
(1443-1495)が最初建立されたものです。上人は、西塔南上坊で20年間修行されて
いたが、10年間に及ぶ応仁の乱でおきた世の惨状を見るに忍びず、遂に意を決し、
社会浄化に身を挺するために、三千宗徒との交わりを辞し、黒谷青龍寺へ隠遁されるが
その直前に建てられた決死の覚悟の表明である。
現在の寿塔は元亀2年(1571)の織田信長の比叡山焼き討ちにより破壊された後、
天保10年(1839)に再建したもので、知恩院二品尊超親王や西教寺27世信尚
上人ら8人が施主となりました。
恵亮堂
上の写真は恵亮堂(えりょうどう)
このお堂は恵亮和尚(800-859)を祀ったものです。
恵亮和尚は京都の妙法院の創始者としても知られています。
上の2枚の写真は中西悟道(1895-1984)の歌碑と現地説明板
歌碑には「樹の雫しきりに落つる暁闇の 比叡をこめて啼くほとぎす」と記載
中西悟道は日本野鳥の会の設立者です。野鳥・自然保護運動の功績で文化功労者
も受賞されています。
鐘楼
上の写真は釈迦堂正面に向かって左手んびある鐘楼です。
浄土院
上の3枚の写真は浄土院本堂と現地説明板
浄土院は伝教大師(最澄)廟があることで有名ですが廟は一般公開されていませんので
2014年1月10日 BS日テレ ぶらぶら美術・博物館 新春2時間SP!の写真を
引用紹介します。
上の3枚の写真は伝教大師の廟所と
822年6月4日、56歳で入寂された伝教大師の言葉
番組では御廟の前の庭を枯葉一つも残さず掃除をしなければならず
掃除地獄として知られているとの解説がありました。
弟子の円仁(慈覚大師)が仁寿4年(854)7月に 中国五台山竹林院を
模してご廟所を建立して大師の遺骨を祀ったとされています。
上の写真は現地での廊に関する説明板
箕淵弁財天
上の写真は箕淵弁財天
本日はその第12回として2017年10月11日に訪問した延暦寺(西塔地区)
を写真紹介します。
当日(2017-10-11)は宿泊する延暦寺会館の送迎バスでJR大津京駅を9時40分頃出発
約30分で延暦寺会館に到着。こちらを起点にまず比叡山延暦寺諸堂順拝券700円と
比叡山内1日フリー乗車券800円を購入し延暦寺横川地区に出かけた。
横川地区の拝観終了後再びバスで峰通まで移動し峰通レストランで昼食後、西塔(さいとう)
地区まで再びバスで移動、特別公開で「秘仏本尊釈迦如来像」が特別御開帳されている
釈迦堂ほか諸堂を拝観してきました。
本シリーズの過去11回の記事一覧
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その1 日吉東照宮
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その2 ケーブル坂本駅
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その3 求法寺走井元三大師堂
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その4 日吉大社
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その5 穴太衆積み石垣
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その6 慈眼堂(恵日院)
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その7 滋賀院門跡
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その8 三井寺(園城寺)
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その9 琵琶湖第一疎水のトンネルと大津閘門
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その10 大津城跡
比叡山延暦寺と坂本 訪問記 on 2017-10-10~1017-10-12 その11 延暦寺(横川地区)
上の写真は上述の「秘仏本尊釈迦如来像」の特別御開帳と内陣の特別拝観が行われている
釈迦堂(転法輪堂)=重要文化財(明治33年(1900)4月7日に指定)
西塔の中心で貞和3年(1347)建築の園城寺の弥勒堂を秀吉により延暦寺に移設
されたもので延暦寺では最も古い建造物である。移築時期は文禄4年(1595)
相応和尚(831-918)の一千百年御遠忌にあたり、三十三年ぶりに一般公開となる御本尊の
木像釈迦如来立像は内陣正面の須弥壇に奉安されています。
堂内では釈迦如来を守護するように東西南北に四天王像が立ち並びます。
また、内陣には四つのお社(おやしろ)(文殊菩薩・元三大師・山王七社・八所明神)
があり、それらのお扉も初めて開かれることとなりました。
上の写真は上述の特別公開の釈迦堂内陣の様子です。
出典:JR西日本歴史たび2017秋10月~12月 比叡山延暦寺より
上の写真は現地の掲示で山王七社と元三大師の社が写っています。
上の写真は西塔地区の諸堂の位置を示したものです。
出典:比叡山 延暦寺のリーフレット
上の写真は西塔地区の諸堂の現地説明板
にない堂
常行堂と法華堂という同じ形の建物がふたつ並んで、渡り廊下でつながっています。
力持ちの弁慶がこの渡り廊下をてんびん棒にして、このお堂をかついだという伝説から
「弁慶のにない堂」と呼ばれています。
上の写真は常行堂 文禄4年(1595)の建築で昭和30年(1955)に重要文化財に指定
上の写真は法華堂 文禄4年(1595)の建築で昭和30年(1955)に重要文化財に指定
上の写真はにない堂の遠景
法華堂側が滋賀県、常行堂側が京都府との解説がありました。
出典:2014年1月10日 BS日テレ ぶらぶら美術・博物館 新春2時間SP!
上の写真は常行堂の御本尊の阿弥陀如来像
上の3枚の写真は現地説明板
円戒国師寿塔
上の写真は円戒国師寿塔と現地説明板
寿塔とは、生前あらかじめ造ったお墓です。この塔は円戒国師・慈摂大師真盛上人
(1443-1495)が最初建立されたものです。上人は、西塔南上坊で20年間修行されて
いたが、10年間に及ぶ応仁の乱でおきた世の惨状を見るに忍びず、遂に意を決し、
社会浄化に身を挺するために、三千宗徒との交わりを辞し、黒谷青龍寺へ隠遁されるが
その直前に建てられた決死の覚悟の表明である。
現在の寿塔は元亀2年(1571)の織田信長の比叡山焼き討ちにより破壊された後、
天保10年(1839)に再建したもので、知恩院二品尊超親王や西教寺27世信尚
上人ら8人が施主となりました。
恵亮堂
上の写真は恵亮堂(えりょうどう)
このお堂は恵亮和尚(800-859)を祀ったものです。
恵亮和尚は京都の妙法院の創始者としても知られています。
上の2枚の写真は中西悟道(1895-1984)の歌碑と現地説明板
歌碑には「樹の雫しきりに落つる暁闇の 比叡をこめて啼くほとぎす」と記載
中西悟道は日本野鳥の会の設立者です。野鳥・自然保護運動の功績で文化功労者
も受賞されています。
鐘楼
上の写真は釈迦堂正面に向かって左手んびある鐘楼です。
浄土院
上の3枚の写真は浄土院本堂と現地説明板
浄土院は伝教大師(最澄)廟があることで有名ですが廟は一般公開されていませんので
2014年1月10日 BS日テレ ぶらぶら美術・博物館 新春2時間SP!の写真を
引用紹介します。
上の3枚の写真は伝教大師の廟所と
822年6月4日、56歳で入寂された伝教大師の言葉
番組では御廟の前の庭を枯葉一つも残さず掃除をしなければならず
掃除地獄として知られているとの解説がありました。
弟子の円仁(慈覚大師)が仁寿4年(854)7月に 中国五台山竹林院を
模してご廟所を建立して大師の遺骨を祀ったとされています。
上の写真は現地での廊に関する説明板
箕淵弁財天
上の写真は箕淵弁財天