2017年10月14日、京都御所で土足参内が行われたことを2018-3-9(金)、
21:00~22:00のNHK BSプレミアムの番組「新日本風土記 比叡山」で知りました。
憶えのためブログ記事を書いておきます。
上の6枚の写真は京都御所での土足参内の様子です。
土足参内(どそくさんだい)とは、千日回峰の創始者・相応和尚(最澄上人の孫弟子)以来
千年の格式と伝統があります。
由来は、文徳天皇の女御の病を京都市中の高僧の呪法効き目なく、12年籠山中の相応和尚が
行者姿で参内加持したところ、病はただちに平癒したといわれる。
千日回峰を満行した行者のみが許されるもので、京都御所小御所に土足のまま参内、
国家安泰を加持するものです。
江戸時代の大名ですら浅沓(あさぐつ)に履き替えて入った宜秋門を草鞋(わらじ)の
ままで入ることを許されたことから「土足参内」の呼び名が付いたという。
前回は光永圓道師が2009年に行い、今回千日回峰を満行した大阿闍梨(だいあじゃり)の
釜堀浩元(こうげん)さんがお勤めをされました。
記録が残る比叡山焼き打ち(1571年)以降51人目で、戦後14人目にあたるそうです。
釜堀浩元さんは大津市坂本の延暦寺善住院住職をされておられます。
当日の土足参内の日程は以下の通り
10時 寺町通りの京都御所のすぐ東の「静浄華院」から行列を整えて御所へ参内
10時30分 小御所で御加持奉修
11時 小御所退出
次に上記のNHK番組で千日回峰の様子も紹介されていましたので写真添付しておきます。
(下の3枚の写真)
Wikipediaより千日回峰行についての解説をそのまま引用紹介します。
千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)とは、滋賀県と京都府にまたがる比叡山山内で
行われる、天台宗の回峰行の1つ。満行者は「北嶺大行満大阿闍梨」と呼ばれる。
「千日」と言われているが、実際に歩くのは「975日」で、残りの「25日」は
「一生をかけて修行しなさい」という意味である
7年間にわたって行う。1〜3年目は年に100日、4〜5年目は年に200日行う。
無動寺で勤行のあと、深夜2時に出発。真言を唱えながら東塔、西塔、横川、日吉大社と
260箇所で礼拝しながら、約30 km を平均6時間で巡拝する。
途中で行を続けられなくなったときは自害する。そのための「死出紐」と、短剣、
埋葬料10万円を常時携行する。
未開の蓮華の葉をかたどった笠をかぶり、白装束、草鞋履きで行う。
堂入り
5年700日を満行すると、最も過酷とされる「堂入り」が行われる。
入堂前には行者は生き葬式を行い、無動寺明王堂で足かけ9日間(丸7日半ほど)にわたる
断食・断水・断眠・断臥の4無行に入る。堂入り中は明王堂には五色の幔幕が張られ、
行者は不動明王の真言を唱え続ける。毎晩、深夜2時には堂を出て、近くの閼伽井で
閼伽水を汲み、堂内の不動明王にこれを供えなければならない。水を汲みに出る以外は、
堂中で10万回真言を唱え続ける。
堂入りを満了(堂さがり)すると、行者は生身の不動明王ともいわれる阿闍梨となり、
信者達の合掌で迎えられる。これを機に行者は自分のための自利行から、衆生救済の
利他行に入る。6年目にはこれまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、
1日約60 km の行程を100日続ける。
7年目には200日行い、はじめの100日は全行程84 km におよぶ京都大回りで、
後半100日は比叡山中30 km の行程に戻る。
釜堀浩元さんは平成23年(2011)3月に千日回峰を始められ、2017年9月18日に
満行されました。約7年間の荒行で地球約1周分の約4万キロを踏破したことになるそうです。
上記番組では釜堀浩元さんへのインタビューもされており、阿闍梨への道は師僧と同じ
白い衣を着れた喜びの方が大きかったと述べられました。
21:00~22:00のNHK BSプレミアムの番組「新日本風土記 比叡山」で知りました。
憶えのためブログ記事を書いておきます。
上の6枚の写真は京都御所での土足参内の様子です。
土足参内(どそくさんだい)とは、千日回峰の創始者・相応和尚(最澄上人の孫弟子)以来
千年の格式と伝統があります。
由来は、文徳天皇の女御の病を京都市中の高僧の呪法効き目なく、12年籠山中の相応和尚が
行者姿で参内加持したところ、病はただちに平癒したといわれる。
千日回峰を満行した行者のみが許されるもので、京都御所小御所に土足のまま参内、
国家安泰を加持するものです。
江戸時代の大名ですら浅沓(あさぐつ)に履き替えて入った宜秋門を草鞋(わらじ)の
ままで入ることを許されたことから「土足参内」の呼び名が付いたという。
前回は光永圓道師が2009年に行い、今回千日回峰を満行した大阿闍梨(だいあじゃり)の
釜堀浩元(こうげん)さんがお勤めをされました。
記録が残る比叡山焼き打ち(1571年)以降51人目で、戦後14人目にあたるそうです。
釜堀浩元さんは大津市坂本の延暦寺善住院住職をされておられます。
当日の土足参内の日程は以下の通り
10時 寺町通りの京都御所のすぐ東の「静浄華院」から行列を整えて御所へ参内
10時30分 小御所で御加持奉修
11時 小御所退出
次に上記のNHK番組で千日回峰の様子も紹介されていましたので写真添付しておきます。
(下の3枚の写真)
Wikipediaより千日回峰行についての解説をそのまま引用紹介します。
千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)とは、滋賀県と京都府にまたがる比叡山山内で
行われる、天台宗の回峰行の1つ。満行者は「北嶺大行満大阿闍梨」と呼ばれる。
「千日」と言われているが、実際に歩くのは「975日」で、残りの「25日」は
「一生をかけて修行しなさい」という意味である
7年間にわたって行う。1〜3年目は年に100日、4〜5年目は年に200日行う。
無動寺で勤行のあと、深夜2時に出発。真言を唱えながら東塔、西塔、横川、日吉大社と
260箇所で礼拝しながら、約30 km を平均6時間で巡拝する。
途中で行を続けられなくなったときは自害する。そのための「死出紐」と、短剣、
埋葬料10万円を常時携行する。
未開の蓮華の葉をかたどった笠をかぶり、白装束、草鞋履きで行う。
堂入り
5年700日を満行すると、最も過酷とされる「堂入り」が行われる。
入堂前には行者は生き葬式を行い、無動寺明王堂で足かけ9日間(丸7日半ほど)にわたる
断食・断水・断眠・断臥の4無行に入る。堂入り中は明王堂には五色の幔幕が張られ、
行者は不動明王の真言を唱え続ける。毎晩、深夜2時には堂を出て、近くの閼伽井で
閼伽水を汲み、堂内の不動明王にこれを供えなければならない。水を汲みに出る以外は、
堂中で10万回真言を唱え続ける。
堂入りを満了(堂さがり)すると、行者は生身の不動明王ともいわれる阿闍梨となり、
信者達の合掌で迎えられる。これを機に行者は自分のための自利行から、衆生救済の
利他行に入る。6年目にはこれまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、
1日約60 km の行程を100日続ける。
7年目には200日行い、はじめの100日は全行程84 km におよぶ京都大回りで、
後半100日は比叡山中30 km の行程に戻る。
釜堀浩元さんは平成23年(2011)3月に千日回峰を始められ、2017年9月18日に
満行されました。約7年間の荒行で地球約1周分の約4万キロを踏破したことになるそうです。
上記番組では釜堀浩元さんへのインタビューもされており、阿闍梨への道は師僧と同じ
白い衣を着れた喜びの方が大きかったと述べられました。