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明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その4 稲爪神社

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2018年4月29日、明石市大蔵谷を散策しました。このシリーズの第4回として
稲爪神社をテーマに書いていきます。

大蔵谷散策シリーズのこれまでの目次とリンク

第1回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その1 大蔵院

第2回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その2 法華塔

第3回 明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その3 宿場町 大蔵谷

稲爪神社の基本情報

住所:明石市大蔵本町6-10  TEL:078-911-3143
御祭神:大山祇命(おおやまづみのかみ)、面足命(おもだるのおおかみ)
    惶根命(かしこねのおおかみ)
創建:推古天皇(在位592-628)の頃
旧社格:郷社

公式サイト:http://www.inadumejinjya.com/

由緒

「推古天皇の時代(7世紀初め)に不死身の鉄人を大将とした三韓(高句麗・百済・新羅)
の軍勢(約8,000人)が日本に攻めてきました。四国の伊予の役人、小千益躬(おちのますみ)
は退治せよという命令を受け、九州に向かい、敵陣に入り、偽って降伏し彼らを東に
導きました。「鉄人」軍は、瀬戸内海を通って播磨の室津から上陸。淡路島を一望できる
明石の和坂のあたりにさしかかった時、連戦連勝の気の緩みもあったのか、あまりの景色の
良さについつい寛いでしまいます。
小千益躬は「今昔物語」にも記されているほど非常に信心深い方で、出陣に際しても
一族の氏神である大三島の大山祇神社に必勝祈願を行った際に神様が現れ、
「鉄人の弱みは、鎧兜で守られていない足の裏だから、これを矢で射よ」と言われた。
上述のように「鉄人」が明石で休息をとっていた時、空が突然曇り、稲妻がとどろいた。
おどろいた馬から鉄人が落ち足の裏を見せた。益躬は弓矢で足裏を射て放った矢は、
足の裏から脳天へと突き抜け、みごと鉄人を倒すことができました。
この矢を「鬼ざしの矢」と言うそうです。

この稲妻が転訛して「稲爪」となったと伝えられる。
                                              
拝殿







上の4枚の写真は拝殿
拝殿の前には越智益躬の故事にちなみ、矢が祀ってあります。

本殿




上の2枚の写真が本殿です。

稲爪浜恵比須神社





上の3枚の写真は稲爪浜恵比須神社の正面、側面、及び恵比寿様の石像
御祭神は事代主(ことしろぬし)神

随身門(神門)






上の3枚の写真は神門(楼門)と門を守る随身像
随身とは貴族の外出の際、身を守る役人のこと
通常、随身門の右手は左大臣、左手は弓矢をもっている矢大臣が配置
享保2年(1717)の建築  左甚五郎の作と言われる彫刻あり

手水舎

上の写真は手水舎

藤棚



上の2枚の写真は藤棚と藤の拡大写真

境内社




上の2枚の写真は境内社

社務所


大蔵谷の獅子舞など伝統民族芸能

上の写真は境内に掲示されていた伝統民族芸能の説明板
大蔵谷の獅子舞は戦国時代の16世紀末頃、九州の大名秋月種実が京都に向かう途中に
伝えられたとされ、五穀豊穣や無病息災を願う。
2017年は10月7日(土)の秋祭りの宵宮祭で神門前で披露されました。

神戸新聞NEXT 2017-10-8で写真入りで紹介されています。
 https://www.kobe-np.co.jp/news/akashi/201710/0010623715.shtml

明石市の無形文化財にもなっている大蔵谷の牛乗りの行事が10月10日に行われます。


上の写真は随身門より参道を臨んだ風景

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