今まで有馬温泉には車を利用した訪問が何度かありますが神戸電鉄を利用しての
訪問は今回(2018年9月25日)が初めてです。
散策内容は小分けにしてシリーズとして書いていきます。
今回は途中でデジカメの電池が上がってしまった為、滞留時間が2時間程度なので
あまり多くの場所を見て回れませんでした。
前置きはこれ位にして散策の初回の場所は「落葉山 妙見寺」です。
このお寺は有馬三山の一つ落葉山(標高533m)の頂上にある日蓮宗のお寺です。
その創建は古く「金鳥城山妙見」を称されていました。
落葉山 妙見寺の基本情報
住所:神戸市北区有馬町(詳細の住所は未調査)
宗派:日蓮宗
創建:不明 真言宗金杖山金剛寺(1873年に廃寺)として建立か?
至徳2年(1385)より前の時代ということは確実
御本尊:北辰妙見大菩薩尊像
中興:明治39年(1906)12月、余田左橘右衛門&京都妙顕寺管長河合日辰
妙見堂
扁額に妙見大菩薩と書かれた妙見堂は圧巻で多くの写真を撮りましたのでその一部を
写真紹介していきます。
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上の2枚の写真は妙見堂の全体遠景です。
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上の写真は2枚の妙見堂の側面です。
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上の2枚の写真は正面の木彫りの彫刻です。
4面に各2枚ずつあり合計8つあります。
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上の2枚の写真は正面軒下の彫刻飾り
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上の2枚の写真は上記と同じですがアップで撮りました。
説明板
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上の写真は落葉山 妙見寺の現地説明板です。
ここで上記の説明板のないようと下記資料から落葉山妙見寺の由緒を纏めてみました。
有馬郡誌 上巻 Page370
有馬観光協会編 しっとりと有馬(1999)
鎌倉時代(1192-1338)、元真言宗の金杖山金剛寺を法ケ宗(現日蓮宗)に改宗されました。
御本尊の北辰妙見大菩薩尊像は第100代後小松天皇(在位1382-1411)の時代の至徳2年(1385)
室町幕府第3代将軍足利義満公が有馬温泉に入湯された時に有馬の鎮護にと寄進されたものです。
御本尊は木造で獄彩色丈1尺亀の背に立ち右手に玉を捧げ、左手に蛇を持ち、七星の光葢
(こうがい)を頂く。
その後、祀堂は荒廃し、御本尊も一時在家(愛宕山の麓に)したが明治39年(1906)12月、
余田左橘右衛門が一寺を建立しようと願いまずは庫裡を建てたが、志半ばで他界した。
その後のことを京都妙顕寺管長河合日辰氏に依頼した。
河合日辰はその志を感じて業を継ぎ、本堂は大正7年(1918)3月に起工し
大正9年(1920)に竣工しました。
狛犬と燈籠
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手水舎
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祠
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上の写真は平成10年に建立された祠
稲荷社
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花山院の石仏像
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上の写真は花山院の字が刻まれた石仏です。
花山院(花山法皇)はご存知のとおり西国三十三箇所巡礼を広めたことが有名で
三田市に花山法皇が隠棲され寛弘5年(1008)2月8日崩御された地の花山院菩提寺
(西国三十三所の番外札所)があります。
弘法大師の石仏像
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妙見寺が真言宗であった時の名残りか弘法大師と刻まれた石仏像がありました。
日明上人の供養石碑
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階段下の寄進燈籠
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上の写真は妙見堂への階段下の寄進燈籠です。
右手は余田左橘右衛門 左手は吉田和助
余田氏は前に述べたように妙見堂の建設にあたっての最大の功労者です。
余田家は建長(1190-1198)時代から続く名家です。
階段下の祠
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上の写真は妙見堂への階段下の祠
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上の写真は妙見堂階段下の祠の脇の石仏
妙見堂への入口
鳥居
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神馬像
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上の写真は開運妙見宮と書かれた神馬石像
西国三十三所巡り
妙見堂までの参道には三十三所巡りの石仏があります。
代表的な石仏像の写真を添付しておきます。
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上の写真は第1番 那智山(青岸渡寺)
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上の写真は第8番 長谷寺
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上の写真は第14番 三井寺
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上の写真は第16番 清水寺
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上の写真は第27番 圓教寺
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上の写真は第33番 谷汲山(華厳寺)
丁石
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参道入口から石段を少し上ったところにある丁石
これより7丁と刻まれています。
妙見堂参道入口
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上の2枚の写真は妙見堂参道入口
善福寺に隣接して、妙見寺へと続く石段があります。
最後に有馬郡誌(上)のPage370 落葉山妙見堂の原文を添付しておきます。
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訪問は今回(2018年9月25日)が初めてです。
散策内容は小分けにしてシリーズとして書いていきます。
今回は途中でデジカメの電池が上がってしまった為、滞留時間が2時間程度なので
あまり多くの場所を見て回れませんでした。
前置きはこれ位にして散策の初回の場所は「落葉山 妙見寺」です。
このお寺は有馬三山の一つ落葉山(標高533m)の頂上にある日蓮宗のお寺です。
その創建は古く「金鳥城山妙見」を称されていました。
落葉山 妙見寺の基本情報
住所:神戸市北区有馬町(詳細の住所は未調査)
宗派:日蓮宗
創建:不明 真言宗金杖山金剛寺(1873年に廃寺)として建立か?
至徳2年(1385)より前の時代ということは確実
御本尊:北辰妙見大菩薩尊像
中興:明治39年(1906)12月、余田左橘右衛門&京都妙顕寺管長河合日辰
妙見堂
扁額に妙見大菩薩と書かれた妙見堂は圧巻で多くの写真を撮りましたのでその一部を
写真紹介していきます。


上の2枚の写真は妙見堂の全体遠景です。


上の写真は2枚の妙見堂の側面です。


上の2枚の写真は正面の木彫りの彫刻です。
4面に各2枚ずつあり合計8つあります。


上の2枚の写真は正面軒下の彫刻飾り


上の2枚の写真は上記と同じですがアップで撮りました。
説明板

上の写真は落葉山 妙見寺の現地説明板です。
ここで上記の説明板のないようと下記資料から落葉山妙見寺の由緒を纏めてみました。
有馬郡誌 上巻 Page370
有馬観光協会編 しっとりと有馬(1999)
鎌倉時代(1192-1338)、元真言宗の金杖山金剛寺を法ケ宗(現日蓮宗)に改宗されました。
御本尊の北辰妙見大菩薩尊像は第100代後小松天皇(在位1382-1411)の時代の至徳2年(1385)
室町幕府第3代将軍足利義満公が有馬温泉に入湯された時に有馬の鎮護にと寄進されたものです。
御本尊は木造で獄彩色丈1尺亀の背に立ち右手に玉を捧げ、左手に蛇を持ち、七星の光葢
(こうがい)を頂く。
その後、祀堂は荒廃し、御本尊も一時在家(愛宕山の麓に)したが明治39年(1906)12月、
余田左橘右衛門が一寺を建立しようと願いまずは庫裡を建てたが、志半ばで他界した。
その後のことを京都妙顕寺管長河合日辰氏に依頼した。
河合日辰はその志を感じて業を継ぎ、本堂は大正7年(1918)3月に起工し
大正9年(1920)に竣工しました。
狛犬と燈籠

手水舎

祠

上の写真は平成10年に建立された祠
稲荷社

花山院の石仏像

上の写真は花山院の字が刻まれた石仏です。
花山院(花山法皇)はご存知のとおり西国三十三箇所巡礼を広めたことが有名で
三田市に花山法皇が隠棲され寛弘5年(1008)2月8日崩御された地の花山院菩提寺
(西国三十三所の番外札所)があります。
弘法大師の石仏像

妙見寺が真言宗であった時の名残りか弘法大師と刻まれた石仏像がありました。
日明上人の供養石碑

階段下の寄進燈籠

上の写真は妙見堂への階段下の寄進燈籠です。
右手は余田左橘右衛門 左手は吉田和助
余田氏は前に述べたように妙見堂の建設にあたっての最大の功労者です。
余田家は建長(1190-1198)時代から続く名家です。
階段下の祠

上の写真は妙見堂への階段下の祠

上の写真は妙見堂階段下の祠の脇の石仏
妙見堂への入口
鳥居

神馬像

上の写真は開運妙見宮と書かれた神馬石像
西国三十三所巡り
妙見堂までの参道には三十三所巡りの石仏があります。
代表的な石仏像の写真を添付しておきます。

上の写真は第1番 那智山(青岸渡寺)

上の写真は第8番 長谷寺

上の写真は第14番 三井寺

上の写真は第16番 清水寺

上の写真は第27番 圓教寺

上の写真は第33番 谷汲山(華厳寺)
丁石

参道入口から石段を少し上ったところにある丁石
これより7丁と刻まれています。
妙見堂参道入口


上の2枚の写真は妙見堂参道入口
善福寺に隣接して、妙見寺へと続く石段があります。
最後に有馬郡誌(上)のPage370 落葉山妙見堂の原文を添付しておきます。
