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2018年 舞子六神社 秋祭り on 2018-10-7

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2018年10月7日、舞子六神社の秋祭りを見学してきましたので動画と写真で紹介します。

まず、舞子六神社の概要について記していきます。

舞子六神社(旧称は六社大明神)の基本情報
住所:神戸市垂水区西舞子1-5-7  TEL:078-781-5584
創建:元禄2年(1689)9月9日より古い。
    地元では六社(ろくしゃ)さんと呼ばれ親しまれている。
   神輿渡御の際に金幣3本が奉納の記録「播州明石郡山田村之住施主」
御祭神:伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)
    伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)
    天照皇大神(あまてらすこうたいしん)
    素盞男大神(すさのおのおおかみ)
    月夜見大神(つくよみのおおかみ)
    蛭子大神(えびすたいしん)

    明石市の岩屋神社と同じであることから
    この時期に岩屋神社より分霊されたものであろう。
氏子: 約3,000戸 東舞子1丁目、2丁目、仲之町、戎之町、西舞子
          北之町、川西町
境内社 :四社一宇
       大歳社(豊宇気比賣命)
       白髭社(貴船大社)
       五社稲荷(五社大明神)
       須賀原社(菅原大明神)

    二社一宇
       大黒宮(大国主命)
       戎宮(蛭子大社)

    稲荷社(お松大明神)(倉稲魂大社)

公式HP:http://rokujinjya.jp/

公式FB:https://ja-jp.facebook.com/maikorokujinjya/


いきなりですが動画で2018年の舞子六神社の秋祭の様子を紹介します。

2018年 舞子六神社 秋祭り on 2018-10-7



御神輿







上の写真は御神輿です。

布団太鼓







上の4枚の写真は舞子六神社の秋祭りで使用されているふとん太鼓
昭和30年代後半に焼失して以来、長らく途絶えていたが、平成10年(1998)に
明石の岩屋神社から譲り受けたものを修復して復活した。

子供神輿


子供布団太鼓




秋祭PRポスター


秋祭神輿など巡行ルート


秋大祭スケジュール


秋祭り写真

上の写真は神事でお祓いを受ける為に鳥居前に運ばれた布団太鼓
明神鳥居は昭和43年(1968)に明治から100年からを記念して建立されたもの


上の写真は猿田彦と布団太鼓が写っています。


上の写真は拝殿前で神事を待つ神輿と子供神輿

垂水の秋の伝統行事
2018/09/27 に神戸市の記者発表
昨年(2017年)に発行した「垂水の布団太鼓」に引き続き、「垂水の秋の伝統行事」の
冊子が垂水郷土芸能保存会より発行されました。

上の写真は冊子「垂水の秋の伝統行事」の表紙です。

中身(内容)を観たい方は神戸市のトップサイトより
トップページ > 総合メニュー > 市政情報 > 記者発表資料 > 2018年9月 > 「垂水の秋の伝統行事」冊子が完成!
と進んでください。PDFファイルでプリントアウトできます。

神戸市垂水区役所のトップから
垂水区 > 垂水区はこんなまち > 区の概要 > 伝統芸能  と進んで下さい


上の写真は神戸市垂水区内の秋祭の日程一覧表です 出典:神戸市報(垂水区版)

境内案内
拝殿

上の写真は拝殿の正面写真です。
拝殿前の狛犬は平成1年(6月)石井正氏は奉納されたものです。
手前の燈籠は山田屋与兵衛氏が亨和1年(1801)大坂永代燈一対を奉納。
左側の燈籠は一部しか写っていませんが。

本殿

上の写真は本殿

手水舎と奉納燈籠

上の写真は拝殿前の燈籠と手水舎です。 撮影:2012-11-24
Aの石灯籠(左側と一対になっている)は山屋七五郎氏が天保3年(1832)に奉納
Bの手水舎は大正時代初期の造営
Cの石燈籠は舞子海産製造組合が奉納したもので建立年月日は記載されていないが
石玉垣が造られた時期(昭和4年)と大体同じ時期に奉納された推測されています。

参照:溝上重夫氏の著書「舞子六神社誌」1988年3月31日郷土史研究第5集

四社一宇



上の2枚の写真は四社一宇 右手より大歳社(豊宇気比賣命)、白髭社(貴船大社)
五社稲荷(五社大明神)、須賀原社(菅原大明神)

四社一宇の祠の前の狛犬は寛政7年(1795)9月吉日に奉納されたものです。旧明石郡では
柿本神社の狛犬宝暦4年(1754)ほどは古くないが大坂で製造され運搬されてきた狛犬
として貴重な文化財であると思います。

二社一宇



上の2枚の写真は二社一宇の祠で左手は大黒宮(大国主命)の祠、右手は戎宮(蛭子大社)。
大黒宮の左手は大黒石像、戎宮の右手は戎石像です。
二社一宇の大黒宮と戎宮は昭和40年(1965)に創建されました。
ここに設置されていた旧の戎社は移築され現在は納札所として利用されることとなった。
大黒石像と戎石像はもと垂水区歌敷山3丁目の愛徳学園にあったもので昭和40年(1965)
大西宗十郎氏と立花佐市氏が愛徳学園より購入し寄贈されたものである。
世話人は大塚勇氏。
戎、大黒の石像は日本一とされている。
戎の石像については大きさは小さいが昔からあったものが今も残っています。
昭和9年、山田村字川東2149番地に鎮座していた戎社が台風で流失したため現在地に
移築されたとの記録があるのでこの時に戎石像も移築されたものか?


上の写真は大黒石像です。


上の写真は戎石像です。


上の写真は昭和40年(1965)建立の石碑

市民の木



上の2枚の写真は市民の木に指定されている「えのき」の大木と現地説明板です。
えのきの大木は昭和51年(1976)11月12日市民の木 第42号に指定

稲荷社

上の写真は稲荷社(お松大明神)(倉稲魂大社)
左手に現在「納札所」として利用されている旧戎社の一部が写っています。
昭和38年(1963)に改修されています。
橋の下のお松さんと親しまれてきた祠で明治の終わり頃山田橋のたもと
(山田橋の東南隅)に移され、その後、六神社の境内社となった。

不明の石造物


境内位置図

上の写真は昭和13年(1936)頃の舞子六神社の境内配置図です。
現在存在していない祠として竜王の名前が見られる。
竜王は雨乞いを司る神様で寛政7年(1795)に多聞寺の塔頭の理教院、西方院、実相院
及び明王寺の宝どう院が合同で山田村宮で祈祷のあと雨乞いのため御座船を出したとの
記録(多聞寺行事諸事控)が残っています。

舞子六神社の歴史年表
舞子六神社の歴史を箇条書きで記します。

江戸時代前期 岩屋神社より分霊を受け、播州明石郡山田村の総鎮守として
六社大明神の社を建てる

文久2年(1862) 明石藩城主の松平慶憲が山田村神社前に台場を設置
慶応4年(1868)3月 神仏分離令により明神号を廃止。六社神社となる。
明治7年(1874)2月 社格が村社となり六神社と改称
明治10年(1877) 落雷火災により社殿消失
明治12年(1879) 神輿再建
明治13年(1880) 山田村大歳山にあった大歳神社を六神社境内に遷宮
明治23年(1890) 7月31日六神社社殿を再建
明治41年(1908)山田村川西鎮座の素盞男神社を六神社に遷宮
大正7年(1918)4月25日 山田村字舞子鎮座の稲荷神社(五社大明神)六神社に遷宮
昭和9年(1934)9月 山田村字川東2149番地に鎮座の戎神社を六神社境内に遷宮
昭和40年(1965)四社(大歳社、五社大明神、白髯大明神、須賀原大明神)を改築
         四社一宇とする。
         二社一宇の戎宮と大黒宮を創建する。
昭和41年(1966)社務所を新築
昭和43年(1968)明治100年記念 大鳥居と国旗掲揚柱を氏子が奉納
昭和55年(1980)神具庫を新築
平成2年(1990) 舞子漁友会、舞子農業会一同が戎・大黒宮前の鳥居を奉納
平成19年(2007)10月6日 平成の大修理


海岸からの風景

上の写真は明石海峡大橋方面の遠景


上の写真は明石市方面の遠景


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