神戸市の国宝については以前、小生の下記ブログで纏めています。(4件の国宝があります)
今回は少し範囲を広げて兵庫県の国宝について纏めてみました。2回に分けて纏めました。
その1は建造物、今回はその2で美術品(彫刻、考古資料、古文書・書籍、工芸品・絵画)です。
参考資料は、その1で記載
彫刻
木造阿弥陀如来及両脇侍立像(浄土堂安置)
種別:彫刻 時代:鎌倉時代
国宝指定年月日:昭和39年(1964)5月26日
所在地:兵庫県小野市浄谷町2094 浄土寺内 浄土堂
上の写真は阿弥陀三尊立像(快慶作)中尊は530cm高 建久6年(神戸市1195)に造立 大仏殿再建の予行演習的に重源の指導により建立されました。 出典:一個人 2012年10月号 Page33浄土寺への訪問記にリンクしておきます。
考古資料
桜ヶ丘銅鐸・銅戈群
種別:考古資料 銅鐸 14口、銅戈(どうか) 7口 時代:弥生時代
国宝指定年月日:昭和45年(1970)5月25日
桜ケ丘遺跡の所在地:神戸市灘区桜ヶ丘町 保管:神戸市立博物館
上の写真は企画展「神戸考古学 BEST50」 平成18年7月22日発行
神戸市教育委員会文化財課発行 神戸市埋蔵文化財センター編集のPage1より引用
昭和39年(1964)12月に神戸市灘区桜ヶ丘町の丘陵で土取り工事中に出土したもので、
袈裟襷文(けさだすきもん)が11口
流水文(りゅうすいもん)が3口
桜ヶ丘銅鐸と呼ばれています。
大きさは一番大きい6号で高さ64.1cm、一番小さい14号で高さ21.3cm
他は高さ43cm前後のものが多いようです。
1,2,4,5号銅鐸には人物、鹿などの動物、昆虫などが描かれた絵画銅鐸です。
銅戈(どうか)7本は長さ27.1~28.9cmでほぼ大きさがそろっており、樋(ひ)を
複合鋸歯(きょし)文で飾った大阪湾型銅戈である。
大きさのデータは文化庁監修重要文化財28考古1昭和51年毎日新聞発行より引用
さらに詳細は下記のブログで纏めています。
神戸市立博物館の銅鐸展示 on 2016-3-6
文化庁のデータベースでの解説文についても引用紹介します。
これらの一括遺物は昭和三十九年十二月神戸市灘区桜ケ岡町で土取り作業中に出土したものである。同一地点から銅鐸が数多く出土した例としては明治十八年八月滋賀県野洲から発見された十四口が最も著名であり、さらに近年その付近から十口出土しているのが注目される。それに次ぐものは昭和七年徳島市での七口の発見報告と、江戸時代に淡路の笥飯野から八口出土したことが江戸時代の記録にあるが、それらはいずれも散逸したものが多く、また一か所に保存されていないので、本遺跡出土のものはその意味においてもきわめて貴重な新例を加えたものである。しかも二口の袈裟襷文銅鐸に旧大橋家の銅鐸(国宝・伝香川県出土・現在国有)と同様の画象を鋳表わしていること、流水文銅鐸の一口は滋賀県新庄(大原総一郎氏蔵・重文)、鳥取県泊(東京国立博物館保管)の二か所から出土したものおよび辰馬悦蔵氏所有のもの(二口、うち一口は重文)と、一口は岸和田市神於【このの】(京都大学保管)、一口は鳥取県本庄(京都国立博物館)から出土したものといわゆる同笵であること、しかも銅戈七口を併せ出土していることなどは、この種青銅遺物の性格を知る上にもきわめて重要である。
書籍・典籍
賢愚経残巻(大聖武)
種別:書籍・典籍 賢愚経残巻(けんぐきょうざんかん)(大聖武)(2巻) 時代:奈良時代
国宝指定年月日:昭和39年(1964)5月26日 保管場所:財団法人白鶴美術館(神戸市東灘区) 賢愚経は賢者と愚者の比喩を論じた経巻である。写真の上の方は甲巻で461行の文書となっています1行に11字から13字書かれています。紙は香料を漉きこんだ荼毘紙。 乙巻は503行。 文化庁のデーターベースの解説文を引用紹介します。 賢愚経【けんぐさよう】は賢愚因縁経ともいわれ、種々の譬喩因縁を収集して六十二品より成る。いま国宝に指定されているその残巻に、東大寺(一巻、四六七行)、前田育徳会(三巻、四一九行、一四六行、一八行)、東京国立博物館(一巻、二六二行)、のものがあるが、これはその分量(甲巻四六一行、乙巻五〇三行)、保存状態において、それらにまさるものである。これらはいずれも聖武天皇の御筆といわれるところから大聖武【おおじようむ】とも呼ばれ、そのわずかな断片すらつねに古筆手鑑【てかがみ】の巻頭を飾るほど珍重されているもので、荼毘紙【だびし】に一行十一字-十三字の端麗な大字で書写され、おそらく奈良時代の渡来中国人か、あるいは写経生の名手の筆になるものと思われる。
大般涅槃経集解 種別:書籍・典籍 保管場所:財団法人白鶴美術館(神戸市東灘区) 時代:奈良~江戸 大般涅槃経集解(だいはつねはんきょうしゅうげ)(71巻) 附大般涅槃経後分(2巻) 国宝指定年月日:昭和40年(1965)5月29日
大般涅槃経は釈尊入滅の前後を歴史的に描いた経巻である。
西大寺宝塔院に伝承していたもので、奈良時代の写経54巻、平安時代初期2巻
鎌倉時代補写経7巻、さらに江戸時代補写経9巻で合計71巻となっています。
文化庁のデーターベースの解説文を引用紹介します。 唐時代の書写と思われる古写経五十四巻を中心に、平安、鎌倉、江戸各時代に補写された十七巻を加え、七十一巻完存のもので、早くから奈良の西大寺に伝えられ、涅般経研究の重要なテキストとして知られる。その大部分に平安、鎌倉の古訓点があり、国語学上にも貴重な資料である。
世説新書巻第六残巻 種別:書籍・典籍 世説新書巻第六残巻 1巻 時代:中国、唐時代 国宝指定年月日:昭和27年(1952)3月29日 所有者:小西新右衛門(伊丹市) 上の写真が世説新書巻第六残巻 1巻 ト書: 紙背金剛頂蓮花部心念誦儀軌 出典:文化庁監修重要文化財19書籍・典籍・古文書Ⅱ Page64 昭和51年(1976)毎日新聞発行 京都国立博物館本(旧山田本)に続く夙慧篇第12の全文54行を在する。 紙背は他3巻と同じく平安後期書写の聖教で東寺僧杲宝の所持本であった。
『世説新書』は、筆記小説集の一種で、中国六朝時代の南朝宋の文学者で臨川王劉義慶(403~444) が著したものである。その内容は後漢末から東晋にかけての名士の言行や逸事を38部門に分けて 採録したものであり、その注は南朝梁の文学者である劉峻(字は孝標、462~521)が成したものである。
土佐日記 種別:書籍・典籍 時代:鎌倉時代 所有者:学校法人 青山学園 国宝指定年月日:平成11年(1999)6月7日 保管場所:大阪青山歴史文学博物館(川西市)
現物は不定期に開催の特別展で公開されます。 大阪青山歴史文学博物館の公式サイトの収蔵資料で概要を確認できます。
絵画
紙本墨画淡彩夜色楼台図〈与謝蕪村筆/〉 種別:絵画 時代:江戸時代 国宝指定年月日:平成21年(2009)7月10日
下記サイトで関連情報を確認できます。 http://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/194673
文化庁のデーターベースの解説文を引用紹介します。 蕪村(一七一六~一七八三)は、大雅と共に日本南画の大成者として名高い。本図は最晩年の作とみられ、大胆な墨の技法による暗い夜空と雪に白く浮かぶ連山や家並との対照などは新鮮な感覚にあふれ、「夜色楼〓雪萬家」の詩意が見事に表現されている。(本誌49年11月号口絵参照)
絹本著色聖徳太子及天台高僧像 種別:絵画 時代:平安時代 所有者:一乗寺 国宝指定年月日:昭和28年(1953)3月31日 上の写真は聖徳太子像 奈良国立博物館で保管 上の写真は龍樹(りゅうじゅ)奈良国立博物館で保管 上の写真は善無畏(ぜんむい) 現物は東京国立博物館で保管 上の写真は慧文(えもん) 東京国立博物館で保管
上の写真は慧思(えし) 奈良国立博物館で保管 上の写真は智顗(ちぎ) 奈良国立博物館で保管
上の写真は灌頂(かんじょう) 大阪市立美術館で保管
上の写真は湛然(たんねん) 奈良国立博物館で保管 上の写真は最澄(さいちょう) 奈良国立博物館で保管 上の写真は円仁(えんにん) 奈良国立博物館で保管 出典:文化庁監修重要文化財8絵画Ⅱ Page96-97 昭和51年(1976)毎日新聞発行 聖徳太子は誰もが知る推古天皇の摂政で「仏教を根付かせた人物」、そのあとの人物は 天竺つまりインドから中国、日本の天台宗で崇める主だった祖師をその人が生きた年代順に 並べたものです。
最近、東京文化研究所と奈良国立博物館の共同研究で高精細のカラー、近赤外、蛍光X線、 透過X線によって調査され下記の報告書で纏められています。 1)東京文化研究所、奈良国立博物館共編「法華山一乗寺蔵 国宝聖徳太子及天台高僧像 光学調査報告書-カラー画像編」平成28年(2016)3月 2)同「法華山一乗寺蔵 国宝 聖徳太子及天台高僧像 光学調査報告書」 平成29年(2017)3月(カラー画像を含む各種光学調査の内容を含む)
報告書は姫路市、加西市、加古川市の市立図書館、県立図書館、播磨学研究所に寄贈されています。
関連サイトにリンクしておきます。 https://blog.goo.ne.jp/bokuno_hondana/e/91a10b90430d5ea5784a1d0d1dc6c4e7
工芸品 短刀〈朱銘貞宗(名物伏見貞宗)/本阿(花押)〉 種別:工芸品 時代:鎌倉時代 保管及び所有:黒川古文化研究所(西宮市) 国宝指定年月日:昭和29年(1954)3月20日
上の写真は短刀貞宗 出典:文化庁監修重要文化財27工芸品Ⅳ Page60 昭和51年(1976)毎日新聞発行
文化庁のデーターベースの解説文及び品質・形状を引用紹介します。 相州正宗の子、貞宗の作で同工の一作風を代表する傑作。穏やかなのたれに小互の目を交え匂口の明るく冴えた刃文は、父正宗を思わせる。『享保名物帳』に所載する伏見定宗がこれで、もと江州水口加藤家に伝来のものであるが、その号の由来は不明である。朱銘は本阿弥光温が入れたものである。 品質・形状: 平造、三つ棟、僅かに反る。鍛板目、地景頻りに入り、地沸よくつき冴える。刃文小湾れ互の目交じり、匂口冴えて小沸厚く、砂流金筋かかる。帽子僅かに乱込み、僅かに掃きかけて先小丸。彫物表梵字-素剣-鍬形、裏梵字、腰樋。茎生ぶ、先僅かに切り詰め、鑢目筋違、目釘孔三、表裏に銘。 太刀〈銘来国俊/〉 種別:工芸品 時代:鎌倉時代 保管及び所有:黒川古文化研究所(西宮市) 国宝指定年月日:昭和28年(1953)11月14日 旧所有者:谷野弥太郎(宝塚市) 銘:安家
上の写真は太刀 銘安家 出典:文化庁監修重要文化財27工芸品Ⅳ Page66 昭和51年(1976)毎日新聞発行
文化庁のデーターベースの解説文及び品質・形状を引用紹介します。
二字國俊の子、来國俊の作で、太刀短刀共に得意とするなかで、短刀は特に上手である。本短刀は同作中出来が優れ、その健全さにおいて右に出るものがない。 品質・形状:文中直刃小足入り、匂口締まりごころ小沸つき、物打辺金筋かかる。帽子小丸、表やや光ごころ。彫り物表護摩箸、裏腰樋。茎生ぶ。振袖形、先切、鑢目浅い勝手下がり、目釘孔2、表に「来國俊」の三字銘がある。 関連リンク: 文化庁 国指定文化財等データベース 兵庫県ゆかりの国宝 今回リストに列挙しなかったが昔、兵庫県に分類の個人蔵の国宝で現在、他の都府県に 移った国宝を挙げておきます。 工芸品:佐治敬三(現サントリー美術館保管) 浮線綾螺鈿蒔絵手箱 昭和39年5月26日指定 書籍・典籍:上野淳一(現京都国立博物館保管)漢書楊雄伝第五十七 昭和26年6月9日指定 上野淳一(現在京都府に所在)法華経巻第八 昭和27年11月22日指定 上野淳一(現在京都府上野聖二氏が所有)王勃集巻第二十八 昭和26年6月9日指定