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諏訪山の武徳殿

本日は現在の諏訪山町2(須磨神社の鳥居の西側)にかってあった武徳殿に
ついての話題です。

明治28年(1895年)に設立された大日本武徳会の本部道場は、
かつて京都御所大内裏にあった武徳殿に因んで「武徳殿」と名付けられた。

全国各地の武徳会の支部道場も、本部に倣って「武徳殿」と名付けられた。

神戸諏訪山の「武徳殿」もその一つで明治42年(1909)10月30日に
建てられました。

総坪数162坪 なかには中央に祭壇があり道場の東半分が剣道、西半分が
畳敷きの柔道場であった。
さらに西北隅には弓道場もあった。

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上の写真がかって諏訪山にあった武徳殿です。
出典:荒尾親成 著 「明治・大正神戸のおもかげ集 第2集 」Page39

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上の写真は明治末?の地図で武徳殿の設置位置が確認できます。

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上の写真は明治14年(1881)の地図でこの時点では武徳殿の場所は井垣池
であったことが判ります。
上記の荒尾親成氏は笊が池と書かれています。

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現在の様子(2014-2-20撮影)は上の写真の通りです。
阪神淡路大震災時は仮設住宅が並んでいました。


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またこの場所には明治天皇御小休所址 神戸税関監視部建物の石碑があります。
昭和14年(1939)5月建立。


山下汽船の山下亀三郎、勝田汽船の勝田銀次郎とともに三大船成金として
知られる内田信也は須磨で柔道の道場を持っていたが武徳殿への入門は
許されなかったそうです。




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