NHK大河ドラマ「麒麟がくる」もいよいよ「長良川の戦い」(1556)が
始まろうとしています。
斎藤道三側につき敗北を味わい朝倉義景を頼り一乗谷へ逃れた明智光秀は約10年間
一乗谷で過ごしたと言われています。
さて、明智光秀の生誕地・父母・生年など未だに謎に包まれている。
生誕地に関して岐阜県内だけでも8つほど候補地が挙げられています。その中でも
有力な説である美濃明知説(岐阜県恵那市)があり「明智光秀産湯の井戸」も
残っています。
光秀は明知城の出城、落合砦(千畳敷砦)で生まれたという言い伝えが
この地域には残っています。
そこで、明知の地にある明智光秀の所縁の龍護寺をGoogle Earthを使用して
バーチャルで訪問することにしました。
龍護寺の基本情報
住所:岐阜県恵那市明智町1389-1 TEL:0573-54-2540
宗派:臨済宗妙心寺派 山号:大明山 御本尊:釈迦如来
龍護寺のGoo地図を添付しておきます。
上の写真は岐阜県恵那市明智町のGoogle地図 龍護寺の位置を赤字で示した
上の写真は龍護寺付近のGoogle地図
Wikipediaより龍護寺のご由緒を引用紹介します。(一部追記)
大永元年(1521)三河国三玄寺の住持であった「伯庭」が当地に「塔仙坊楞厳院」
という庵室を設けて住まっていたという故地に、慶長元年(1596)江戸幕府の
交代寄合となった遠山利景が一族の菩提寺として建立し「椽室」が開山した。
遠山家の子孫には遠山の金さんとして知られる遠山景元がいます。以降は江戸時代
を通じて明知遠山氏の庇護のもと杉平村に30石の寺領を有していた。
また明知遠山氏の領内にある妙見寺や長楽寺、万勝寺、観音寺などを末寺としていた。
なお遠山利景の父、遠山景行の墓は、恵那市明智町杉野の安住寺と龍護寺の両方にある。
境内には遠山利景以後の明知遠山氏の歴代の墓と、家老であった串原遠山氏の
末裔である永田氏の墓の他、遠山氏初代の遠山景朝の伯父にあたる加藤光員と
その一族の墓が隣接している。他には寺宝として明智光秀所有の直垂の布が
縫い込まれた袈裟を所蔵しており、明智光秀の霊廟所もある。
上の写真は駐車場付近から観た龍護寺の遠景
上の2枚の写真は道路沿いにある信徒会館
上の写真は明智光秀公の霊廟所(道路沿いより)
霊廟所の中の供養塔は斜めにヒビが入っているそうです。
実際に訪問された方のサイトにリンクさせていただきました。
2)https://ameblo.jp/mico315-kk/entry-12514518452.html
3)https://www.kankou-gifu.jp/spot/5828/
恵那市明智町の観光案内
1)https://akechi-mitsuhide.jp/places-associated-with-mitsuhide/