新型コロナウイルス感染症で亡くなられた志村けんさんがNHK朝ドラ「エール」
で6回目の出演をされていましたので写真紹介します。(5月20日に放送)
1回目~5回目の出演に関する記事にリンクしておきます。
志村けんさんがNHK朝ドラ「エール」に出演 on 2020-5-1
志村けんさんがNHK朝ドラ「エール」に2回目の出演 on 2020-5-6
志村けんさんがNHK朝ドラ「エール」に3回目の出演 on 2020-5-14
志村けんさんがNHK朝ドラ「エール」に4回目の出演 on 2020-5-15志村けんさんがNHK朝ドラ「エール」に5回目の出演 on 2020-5-19
ドラマ初出演の志村さんは昨年12月から亡くなる約3週間前の3月6日まで
撮影に参加されていたそうです。志村けんさんが演じた人物のモデルは山田耕作
前日に続き、小山田耕三(志村けん)のところに古山裕一(窪田正孝)は仕事も応援歌作りも
そっちのけで、交響曲「反逆の詩」を書きあげ小山田耕三に見てもらった後、裕一がその
評価を尋ねると小山田からはいい返事が得られなかった。
番組の冒頭での画面でした。(下の3枚の写真)
その後のドラマの展開はショックを受けた裕一。古山音(二階堂ふみ)は裕一の部屋に入り
その様子を探っていたところに裕一が帰宅。
ドラマの中間の部分で慶應義塾の応援団長がやってきて早稲田の応援団長とのやりとりがあった後、
早稲田の応援歌「紺碧の空」の作曲の期限があと3日と迫り、応援団が古山家に押し寄せ
作曲の催促をしている中、音が豊橋に帰るとの置手紙が置かれているのを裕一が見て終わる。
以下はファクト物語です。
尚、古山裕一が作曲した「反逆の詩」のモデルは古関祐而の「大地の反逆」
「大地の反逆」は大正12年(1923)古関祐而14歳の時に作曲された曲です。
当時、古関祐而は福島で福島ハーモニカ・ソサイティーに入っていました。
この曲は昭和3年(1928)福島ハーモニカ・ソサイティーとともに
仙台中央放送局記念番組に出演、古関祐而が指揮をしています。