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明石港の旧波門崎(はとさき)燈籠堂

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昨日(2021-1-19)の神戸新聞の夕刊1面で「最古石造り灯台113年前の姿 江戸初期

築造 明石・旧波門崎燈籠(はとさきとうろう)堂」という見出しで紹介がありました。

これに刺激され表題のテーマでブログ記事を書くことにしました。

以前に同じテーマでブログ記事を書いていますのでリンクしておきます。

 明石港の旧灯台 on 2012-10-26 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

旧波門崎(はとさき)燈籠堂は通称「明石港旧灯台」。明暦3年(1657)5代藩主の

松平忠国が建てたとされ、現存する石造りの旧灯台としては日本最古で平成26年(2014)

4月25日に国の登録有形文化財(その他工作物)に指定されています。

旧波門崎灯籠堂は明石の水運と商工業の発展に貢献した。

上の写真は神戸新聞で紹介された写真と同じ物で113年前の「明石名所写真帳」に

掲載されていた旧波門崎灯籠堂。

神戸新聞でも記載されているように笠部が木製になっています。

このような形式になったのは1845年(弘化2年)以降です。

出典は2020年10月31日~12月6日明石市立文化博物館で行われた企画展示

発掘された明石の歴史展「明石の港津」の冊子Page61

上の写真は上述の企画展のリーフレット表紙に使用された133年前の旧波門崎燈籠堂

2020年11月14日に観覧しました。

上の写真も2020年10月31日~12月6日明石市立文化博物館で行われた企画展示

発掘された明石の歴史展「明石の港津」の冊子Page61より

上の写真は燈籠堂のおおまかな変遷を纏めたもの

石の台の上に平屋の建物が載っているいる所謂、燈籠堂の形式になったのは

Ⅲ期の1657年以降。

さらに詳細な資料が下記の冊子Page57-59に記載されていますが説明を省略します。

出典:明石市立文化博物館企画展示、発掘された明石の歴史展「明石の港津」の冊子Page60より

 

上の2枚の写真は淡路島への連絡船ジェノバラインより撮った旧明石港灯台

撮影:2020-10-30

旧波門崎灯籠堂は改造されながら残存し、沖合に新しい灯台ができた1993年には

その役割を終え。1999年に明石市へ所有権が移されました。

上の写真は明石港の新しい灯台 撮影:2020-10-30

明石市は2020年度の予算で、新たな観光資源とするため復元費を計上し、文化庁

からのアドバイスも受け113年前の写真などを参考にして復原される予定。

上の2枚の写真は明石駅前の観光案内板の旧波門崎灯籠堂の説明

撮影:2021-1-9

文化庁のデータベースで解説されている旧波門崎灯籠堂の主要項目

 ・所在地:兵庫県明石市港町2-9地先

 ・構造及び形式等 : 石造及び鉄筋コンクリート造、面積27㎡

 ・年代 : 江戸前期/昭和28改修
 ・西暦 : 1615~1661/1953改修

 ・登録番号 : 28 - 0586

 ・登録年月日:平成26年(2014)4月25日

 ・解説文:明石港の南西隅に位置する。表面叩き仕上げの花崗岩を用い、隅角を算木積

      としながら層状に精緻に積み上げ、北面に階段を取付けた石積躯体と、

      鉄筋コンクリート造の灯籠からなり、総高七・三メートルとする。

      藩政時代から残る明石港のランドマーク。

 

     

最後の現地の説明文を添付して筆を置きます。

明石港旧灯台の沿革
明石港の灯台は1657年(明暦3年)に明石藩主松平忠国によって舟人の目標とする
燈明台(とうみょうだい)として造られたといわれています。
明治以前の「航路標識年表」(1968年 第五管区海上保安本部刊)によれば、
近畿で四番目に造られた灯台となります。
その当時は、江戸へ荷物を運ぶ菱垣廻船が活躍しはじめ、明石港も瀬戸内海の
物資の交易のため、潮流の速い海峡の潮まち港として、また淡路への連絡港
として重要な位置を占めるようになってきた頃です。
大正時代の写真には、港口を行き交う帆船とともに、木製の燈籠部も写っており、
昔の姿がしのばれます。
昭和7年(1932)に改修が行われて灯台となり、明石市が管理することになりましたが、
終戦後、連合軍の指令により、昭和26年(1951)5月明石市から国へ移管されました。
昭和38年(1963)3月、灯台としての機能が廃止され、照明機器などは撤去されましたが、
本体そのものは国有財産として残されていました。
その後、この灯台は港の歴史を示すシンボルであり、明石の貴重な歴史資産である
ということで、昭和60年代の初め頃から、兵庫県と明石市が国に対して譲渡の働きかけ
を行い、平成11年(1999)9月に明石市に譲渡されたものです。


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