HAT神戸の一画、脇浜の遊歩道に本日紹介する川崎製鉄跡地の碑が建っています。
上の写真が川崎製鉄跡地の碑
上の写真は川崎製鉄跡地の碑の内部
内部には 「現象としての風景」 作者:福地拓磨 造形作品が展示されています。
また川崎製鉄の葺合工場のかっての写真も展示(上の写真)されています。
上の写真は説明パネル。
川崎製鉄(現JFEスチール)と言えば初代社長である西山弥太郎 (1893 - 1966)
の名前が浮かぶ。
昭和25年(1950)年8月。西山は社長就任3ヶ月後の1950(昭和25)年11月、通産省に
請願書を提出。千葉に総工費163億円規模の銑鉄一貫工場建設の計画が示された。
東京湾の一角を埋め立てての工場建設という思い切った計画を立て実行した。
新日鉄とともに製鉄の双璧となるJFEスチールの基礎を築いたと言っても過言
ではない。
西山弥太郎を顕彰する西山記念館が1975年から2011年まで存在していたが
解体され現在はマンションとなっている。
偉大な経営者に敬意を表します。
上の写真が川崎製鉄跡地の碑
上の写真は川崎製鉄跡地の碑の内部
内部には 「現象としての風景」 作者:福地拓磨 造形作品が展示されています。
また川崎製鉄の葺合工場のかっての写真も展示(上の写真)されています。
上の写真は説明パネル。
川崎製鉄(現JFEスチール)と言えば初代社長である西山弥太郎 (1893 - 1966)
の名前が浮かぶ。
昭和25年(1950)年8月。西山は社長就任3ヶ月後の1950(昭和25)年11月、通産省に
請願書を提出。千葉に総工費163億円規模の銑鉄一貫工場建設の計画が示された。
東京湾の一角を埋め立てての工場建設という思い切った計画を立て実行した。
新日鉄とともに製鉄の双璧となるJFEスチールの基礎を築いたと言っても過言
ではない。
西山弥太郎を顕彰する西山記念館が1975年から2011年まで存在していたが
解体され現在はマンションとなっている。
偉大な経営者に敬意を表します。