真珠湾攻撃から2か月余後の1942年2月19日、ルーズベルト大統領は大統領令9066号に署名。
日系人約12万人が「敵性外国人」のレッテルを貼られ、収容所で過酷な生活を強いられた。
レーガン政権の88年になって公式な謝罪と補償が行われた。
日系米国人は彼らの生まれだけを理由に標的にされ、投獄され、非人道的な強制収容所で
生きることを余儀なくされた。
アメリカ市民としてアメリカという国に対して忠誠を誓っていた善良な市民であったにも
かかわらず、日本軍のために働くスパイであるかもしれないというだけで敵性市民と
ラベルを貼り付けられた日系人たちはそれまで持っていた仕事、住む場所を含めた全財産を
没収されて、強制収容所に送り込まれることになるのです。
同じ敵国であったドイツ系及びイタリア系の米国人には適用されなかった。
8/12(木) 午前0:46-午前2:00 NHK総合テレビで放送の
映像の世紀(11)「JAPAN~世界が見た明治・大正・昭和~」より
関連写真を添付して紹介していきます。
上の写真は日系人収容所。マンザナー強制収容所(Manzanar internment camp)は
日系アメリカ人が収容された10箇所の収容所の中で最もよく知られている。
マンザナー強制収容所は1942年2月19日にフランクリン・ルーズベルト大統領が発した
大統領令9066号によって翌3月に開設された。マンザナー収容所は最大時には10,046名を
収容し、収容された総数は合計で11,070名となった。1942年12月6日に収容者の暴動が発生し、
歩哨は2名の収容者を銃撃した。
上の2枚の写真はニューズウィーク誌 1942年3月30日号
関連サイト:
日系人強制収容「恥ずべき歴史」 バイデン氏が声明―米:時事ドットコム (jiji.com)
カリフォルニア州が謝罪した日系人強制収容所「マンザナー」と移民:朝日新聞GLOBE+ (asahi.com)
“大戦中の日系人強制収容を謝罪”米・加州議会決議(20/02/21)